昨夜、少しカミングアウトした。
まぁそんな雰囲気になったからだ。
だからといって落ち込むこともなかった。
大分気持ちも整理されてきたということなのだろう。
この状態に慣れたのもリワークでカミング・アウトしてからだ。
それまでは過去の記憶に振り回されてきたと思う。
カミングアウトして、認知をして、アクションプランを立ててといった作業を経て今に至っている。
自分と向き合い、受け入れたということなのだろうか?
そもそも「受け入れる」とは、どういうことなのだろう?
人はよくこの言葉を口にするが、実はその意味を分かってはいないのではないだろうか?
ちなみに「受け入れる」を辞書で調べてみると、①人の言うことや要求などを聞き入れる、②引き取って、世話をする、③受け取って収める、また他からもたらされたものを取り入れるとなる。
恐らくここで問題としている「受け入れる」というのは③なのだろう。
受け取って収める、他からもたらされたものを受け入れる、心のなかから受け取ったものを取り入れるといったところなのだろう。
でも、記憶を取り入れることなど私には出来ない。
遠い過去のことであり、現在の出来事ではないとわかっていても納得はしていないのだ。
何故自分はそんな体験をしなければならないのか、不公平だという思いが拭えないのだ。
そこで私の精神的な市長は止まってしまったのだろう。
記憶に支配され、抜け出せなくなってしまった。
それが動き出したきっかけというのがカミングアウトと認知行動療法だった。
どちらにも共通しているのは、心のなかのものを文字という形に「見える化」したということだ。
心のなかにとどめている状態は形としては外に表しては居ない。
あくまでも自分の心の中の闇ですかない。
闇に勝つためには、形のないそれを暴き、それに明確な「形」を与えてしまうことではないだろうか?
その上で、それを見つめなおす。
すると、長年自分を苦しめてきたものが、思っていたほど深い闇ではないことに気づく。
この「気づき」が「受け入れ」に結びつくのかもしれない。
今も私の中には幼いころの記憶がある。
しかし、それはもう私を苦しめては居ない。
何故、そうなれたのかは未だに分からない。。
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