2014年1月20日月曜日

日常と非日常

今朝も会社に早く着いた。
いつもよりは少し早いが変わることのない日常が始まった。
これはこの先も変わることはないだろう。

いつもと変わらない日常。
会社と家の往復でしかない日常。
それで良いのかという自分が首をもたげてくる。

私は休職をしていた時、平凡な日々を送ることが幸せだと思っていた。
それで復職を目指し、リワークプログラムにも参加した。
ある程度症状が治まってきた時、復職出来るのではないかと云う気持ちを抑えて、あえてその道を選んだ。
半年間、リワークプログラムに参加することを日課にして、復帰にソフトランディングした。

そんな中で、今繰り返される日常に疑問符を投げ始めた。
非日常を求め始めたのかもしれない。

休日の行動もほぼ一定になってきた。
病院に行き、洗濯などをして、1時間ほど外出する。
これが休日の日常だ。
そんな中で、昨日はスマートフォンのOSをアップグレードした。
この部分がいつもとは違った行動だ。

いつもと違った行動はやはり楽しい。
集中力もかなり続いた。
けれども、これは毎回出来る事ではない。
やはり心は非日常を求めている。

そこにはギャップはないのだろうか?
ストレスを感じる要因のひとつに、自分が望んでいる姿と現実とのギャップがあるという。
無い物ねだりの非日常を求める心は、このギャップを生むのではないのだろうか?

果たしてギャップがあるということは全てが悪いことなのだろうか?
人は理想と現実の中を生きている。
こうなりたいという理想を誰もが抱いている。
そして、それを現実のものにしようと努力する。
それを「向上心」というのではないだろうか?
それを持つことは大事なことだと私も思う。

しかし、理想と現実のギャップが大き過ぎると、理想は現実にはなりにくい。
そうなると人は苦しむのではないだろうか?
では、どうすれば良いのだろうか?

私が思うに理想と現実のギャップが小さければ苦しみも少なくなるのではないだろうか?
高すぎる理想を抱くよりも、手に届く理想を持てば、自ずとギャップも小さくなる。
それならストレスも少なくて済むし、向上心も手放さずに済むのではないだろうか?

だとすれば、今求めている非日常はどんなものになるのだろうか?
今、私が求めているのは、人との繋がりだと思う。
けれども、私は人付き合いが上手くない。
そこにギャップがある。
いきなり多くのつながりを求めるのには無理があるだろう。。

そうなれば、時間をかけていけばいい。
今のところ、特に急がれているわけではない。
それがギャップを埋めることになるだろう。
そうしていくことが、私の非日常とすれば良いのではないだろうか。。

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