1月3日、どこにも出かけないというのも寂しいのでスクーターを20分ほど走らせて「寺家ふるさと村」という場所に行ってきた。
元々私が育った場所に近く懐かしさもあり、季節ごとに訪れる場所だ。
私にとって故郷と呼べる所なのかもしれない。
けれども、私にとって子供の頃には良い思い出がない。
この頃の記憶が私の「心の病」の要因の一つになっているからだ。
だからここを訪れるときには複雑な思いがある。
そもそも、何故そんな場所を私は懐かしいと思うのだろう?
この場所には辛い思い出ばかりなのだ。
普通、人はそういう場所を捨てて2度と戻ろうとはしないはずなのだろう。
でも、私はこうして帰ってくる。
別れて暮らしている家族がいるからなのかもしれない。
ここには家内と子供たちが住んでいる。
しかし、私は彼女たちに会おうとはしていない。
では何故、私は帰ってくるのだろう?
ここには少ないけれども友人たちと過ごした時間もある。
純粋な子供の頃の少ない記憶だ。
それは誰もが持つものだ。
それを懐かしんでいるのだろうか?
いや、そうではないような気がする。
この場所は母の実家のあった場所でもある。
父の実家は小さな頃に出てしまったので記憶そのものがない。
なので、特別な思いがあるのかもしれない。
「血の記憶」とでも言うのだろうか?
いや、それとも違うような気がする。
結局、何故ここに戻ってくるのかはわからない。
探ろうとしないほうが良いのかもしれない。
何れにしても心の深いところに理由があるのかもしれない。
ならば触らないほうが良いようにも感じる。
これからも私はここに来るのだろう。
私の心の原風景であるかもしれないからだ。。
0 件のコメント:
コメントを投稿