昨夜、雪がちらついた。
帰宅の時に微かにそれらしいものがちらついたが、今朝のニュースでそう言っていたけれども、積もってはいなかった。
今年はまだ積もるほどの雪は降っていない。
ありがたいことだと思う。
積もってしまうと路面が凍って危ないからだ。
ふと思ったのは、心の状態にも似たようなものがあるのではないかということだ。
子供の頃、雪が降ることは嬉しかった。
それがいつのまにか迷惑な存在となった。
積ってしまうからだ。
すべてがそうだとは言わないが、心の病はいきなり発症するのではないと、私は思っている。
強いストレスに長時間晒されることによって発症するのではないだろうか?
私の生育歴がそうだった。
子供の頃に受けるのには強いストレスを長い間受け続けてきた。
まるで雪が降り積もるように、それは心の奥に積っていったのだ。
積もりすぎるまでに何度かサインが出たのだが、当時は今ほど心の病に理解がなかったため、それは放置された。
結果、積もりすぎたストレスに心は押し潰された。
そうなってしまっても、心の中の雪は止むことがなく、心のなかも冷えきっていた。
降り積もったストレスは融けることなく積もり続けた。
故にそこから脱することが出来なかった。
積もりすぎた雪はなかなか融けない。
時間をかけていかなければならない。
私の心もそういった状態だった。
ここまでくるのに2年の時間が掛かった。
それでも、その時間は人生の長さ、生育歴の長さから比べれば短いものだと思う。
2つ以上の対策が実施されたからだと思う。
そう、時間の問題を解決するためには、複数の工夫が必要なのだ。
しかし、それは誰にでも出来るわけではない。
時期を待つ必要はあるのだ。
そして始めのうちは効果は薄い。
じっくりと構える覚悟が必要だ。
だが、渦中にいるとそれに気付きにくい。
私の心の問題はまだ解決されたとは言い難い。
ゆっくりと時間をかけていかなければならないのだろう。
それは時間をかけて消えていく雪解けのように。。
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