2014年1月21日火曜日

人間の反応

前に母が亡くなった時に泣けなかったということを書いた。
周りが泣いているのに、自分だけが妙に冷静でいたのだ。
自分は何故、泣けないのだろう?
自分はとても冷たい人間だ。
そうも思っていた。

けれども、やはり私も泣いたのだ。
それは母の体が焼かれて骨になった時だ。
しかし、母が居なくなったことに泣いたのではない。
骨になったことで人が物になってしまった虚しさに泣いたのだ。
思えばその時には発症していたのかもしれない。。

人は時に常識とは違う反応を見せる時がある。
以前、火傷で入院していた時、耳の中が膿んでしまったことがある。
当然、切開をしたのだが、これが言葉で言い表せないほど痛かった。
局部麻酔をしていたにも係わらずだ。

その時、私は悲鳴を上げたのだが、同時に笑っていたのだ。
それは私にとって異常な体験だった。
しかし、医師の話では異なった言葉が返ってきた。
人は極度の痛みを感じた時には笑うのだそうだ。

そんなことはありえない。
常識で考えればそうなのである。
しかし、私が体験したことは事実であるし、医師の言葉もまたハッキリと聞いたのだ。

人は時に理解のできない反応を見せることがある。
そのメカニズムは分からないが、きっと自分を守るための反応なのだろう。

私は泣けなかった時がある。
そして理由もなく泣いた時もある。
それぞれは常識で考えにくいことである。
恐らく、その時は自分を守ろうとしていたのだろう。
それはサインだったのかもしれない。
でも、私はそれに対してきちんと対応はしなかった。
それが今に繋がったのだと思う。
自分を守ろうとしていたのだろう。。
サインは見逃さないこと。
その言葉は重くのしかかってくる。。

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