2014年1月27日月曜日

普通の感覚

会社のすぐ傍を電車が走っている。
池上線という3両編成の小さな路線だ。
私が毎朝使っている路線のひとつだ。

この路線に乗るのは大体7時頃だ。
都内を走っている路線だが、この時間帯でも結構人は乗っている。
この路線の終点から都内に散らばっていくのだろう。

私は以前、通勤電車に乗るのが酷く憂鬱だった。
朝襲ってくる憂鬱感の殆どが出掛けることに強い抵抗感があったともいえる。
確かに朝出掛けるのは早いのだが、それだけではなかったと思う。

何故なら現在はそれを感じないからだ。
仕事に対して特別モチベーションが高いわけではない。
休日の夜など、翌日は会社だと思うと良い気分ではない。
それでも朝に憂鬱になることはなくなった。

「普通」に通えるようになったといえるのだろう。
それは通勤がらみの気分だけではない。

私はこれまで普段の状態でも常に憂鬱だった。
生きていても何も良いことはない。
そう思ってきた。
だから薬のオーバードースなどは何度も繰り返してきた。
それは今ではない。

人生について希望をもっているわけではない。
さりとて絶望しているわけではない。
諦めているというのか、無理に希望を持とうとしていないのだ。
素晴らしい人生を経験したいとは思っていないのだ。

それはきっとギャップの落差が小さくなったのかもしれない。
今のままの人生を維持することだけをいつも考えている。
それだけで満足しているのだ。
産業医はレベルアップしろというが、私はそうしないつもりだ。
欝な気分さえなければそれなりに生きていけるからだ。
無駄な希望は持たない。
それで良いのだと思っている。

人はポジティブな考え方が良いという。
意識してそうあろうとする。
それでは常にストレスに曝されてしまうのではないだろうか?
そして、それが積み重なっていくと心は病んでしまうのではないだろうか。
果たしてその生き方はポジティブなのだろうか?

今の自分の立ち位置をしっかりとキープする。
それで良いように思う。
そうしていれば余力が出てくる。
その時にまた一歩踏み出せば良いではないか。
それが積み重なってくればいつしかレベルアップしている。
それで良いではないか。
それがストレス社会の生き方のような気がする。

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