2013年12月27日金曜日

いじめ

虐め、昔から存在していて無くならないものだ。
最近ではそれが原因で亡くなってしまう人すらいる。
これは、子供の世界だけの話ではなく、大人の世界でも存在している。
なくそうとしても、なくならない言葉だ。

私は、この言葉を使うこと自体が「甘え」だと思っている。
肉体に物理的な攻撃をしても、精神的に追い込んでしまうことでも、それは立派な「傷害」事件だ。
対象となった人が亡くなってしまったり、精神的な深井傷をおってしまえば更にその罪は重い。
虐めという言葉で、それを実行している者と傍観しているもの、更に関わろうとせずに隠蔽してしまう者の甘えでしかない。

では何故この事象はなくならないのだろうか?
そこには虐める側の処理できないストレスに答えはあるのではないかと思う。

人間は集団で暮らす社会的な生き物だ。
従って集団の中での平和の維持が必要不可欠だ。
だが、複数の存在が等しく平和な心を維持することは難しい。
ここにある矛盾を解決するための手段が虐めではないだろうか?
僅かな弱者に対して攻撃を加えることで自らの本能を満足させるものではないのだろうか?
だとするのなら、これをなくすのは難しい。

精神の病には「自分若しくは他人を苦しめる状態」という定義みたいなものがある。
他人に苦痛を与えるこの行為は、この言葉を適用するならば「病気」としても良いのではないだろうか?
人一人の人生を壊してしまうような行為を行うものが、その罪を背負わないことが正しいとは思えない。
せめて重篤な精神的病として治療の対象にすべきではないだろうか?

虐めを行う行為者をこのままにすべきではない。
社会から一時隔離して治療をすべきだと私は強く思っている。

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