今日は26日、会社での年内の通常業務はあと2日だ。
ここまでよくやって来たと思う。
今年は色々な事があった。
会社復帰を見据えたメンタルケアのリワーク参加
9月の交通事故と入院。
会社への復帰。
大きな出来事でもこれだけある。
結局これまでの出来事は悪い方向にはいっていない。
交通事故の骨折も今はほとんど痛まない。
会社への復帰もメンタルケアが良かったのか、今のところ上手くいっている。
実際、メンタル面のケアが大事だということは今回の休職で痛感した。
モチベーションの維持が私にとっては大事だということが分かった。
これまでは、そういう事をしてこなかったのでモチベーションが維持できなかったのだ。
根性論では対処できないことが分かった。
この国には未だ根性論が生きている。
私達のような病を背負っている者にとっては生きにくい社会だ。
少しずつ理解は広がってきたが、まだ十分だとは言えない。。
病気の振りをしているなどという言葉や気狂いなどという言葉も生きている。
私達は病の部分を除けば普通の人間だというのに、である。
このような状況はいつまで続くのだろう?
少なくとも私が生きている間は現状のままだろう。
そうした中でも社会と関わりながら生きていかなければならない。
少しずつフォローしてくれるところは出てきているが、まだ十分だとはいえない。
これは体の面で不自由さを背負っている人にも同じ事が言えるのだろう。
私も若干の不自由さを持っているが、それに気づかれることさえない。
如何に世の中が健常者を中心に出来ているか。
彼らもいつこちら側に来るか分からないというのに。。
今のところ、人の痛みを感じることのできる人は少ない。
個性を大事にするということが、それに拍車をかけているような気がする。
唯単に生きるということだけが大変だという人もいるのに、世の中はそうなってはいない。
どうしても、そういう人は孤独になりやすい。
そんな世の中だから生きていたくない人が減らないのだろう。
苦しみを背負っている人が、自ら周囲や考え方を変えていかなければ生きられないという世の中は果たして良い世の中なのだろうか?
どこかに違和感を感じてしまう。
それを「甘え」と言う人はきっと多いのだろう。
けれども、不自由さを背負う人が生きにくい世の中であり、行きたくないと言う人が減らないのも事実だ。
他人を変えるということは出来ないといわれているが、変えていかなければならないことも事実なのだろう。
後の世に生まれてくる人が少しでも生きやすくするためには。。
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