2013年12月20日金曜日

今朝、会社の窓から虹を見た。
本当に久しぶりに見た感じだ。
それまで空を見るだけの余裕がなかったのだろう。
いい気分になった。

今のところ朝の憂鬱感はない。
やる気が出ている訳ではないが、悪くない気分だ。
起き抜けの眠さはあるが大丈夫だ。
気持ちは安定している。

一週間も苦もなく暮らせている。
以前は水曜日までが長く、憂鬱だったのだが、そんなことも無い。
いい感じだ。

今日の虹は少しぼんやりとした感じだった。
まるで私の心理状態に似ているような感じだ。

物事は何もはっきりとしていなくてもいいと私は考えるようになった。
そういう考えは良くないのかもしれないが、私には合っていると思う。
ぼんやりとしている中で苦しくなければいいのだ。
フラットな心理状態で苦もなく暮らせることが私なりの幸せなのだ。
これは大きく変わったことだ。

苦しかった時、記憶を消せればいいと思っていた。
生活環境が変わればいいと思っていた。
心の状態が変わってくれればいいと思っていた。
誰かに救われたいと思っていた。
けれども、それらが叶うことはなかった。。

他人を変えることは出来ない。
記憶を消す事は出来ない。
過去を変えることは出来ない。
だから苦しさから抜け出すことは出来ない。

けれども、自分は変えられる。
その方法は考え方を変えることだ。
ネガティブに考えてきたことをフラットな考えに変えることだ。
でも、具体的にどうすればいいのかは、今の私にも分からない。
うまく説明が出来ないのだ。

例えば嫌いな人がいたとする。
その人間と関わらなければならないとする。
とてもストレスがかかることだ。
そんな時、私は機械になろうとする。
インプットを単純にアウトプットするのだ。
そこに感情は交えない。
そして少し距離を取る。
他人は変えられないのだから、他人の行動のことを深く考えない。
そうすると、少しだけ気が休まる。

光が欲しい時がある。
でも、あまりにも闇が深過ぎて光が見えない。。
救われたいと思う。
誰かの手は差し伸べられない。
そして人は絶望して、さらに深い闇に落ち込む。。
でも、本当に手は差し伸べられていないのだろうか?

実は手は差し伸ばされているのではないだろうか?
ただ、あまりにも暗すぎるので見えていないだけなのではないだろうか?
それに気づくためにはどうすればいいのだろう。。

気づくためには自分も光を持たなければならない。
それは小さなものでいい。
ロウソクや豆電球くらいでいい。
自分で光る必要は無い。

その為に、メンタルの世界にはツールがある。
世の中には様々な言葉がある。
それらが小さな光になってくれるだろう。。
光は待っているだけでは手に入らないのだ。

だが、それを手に入れられない時がある。
でも、無理をすることはない。
いつかは人間は回復するのだ。
その時を待てばいい。
必ずそういうときは来る。

信じることだ。
自分に秘められた力を。
それが光となり、闇から抜け出す道を照らしてくれる。
その道はきっと虹のような道であることだろう。
きっとそうであると、私は信じたい。

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