居場所ってなんだろうて思う時がある。
自分の部屋?
いや、それだけではないはずだ。
いわゆる「家族」の中での自分の居場所なんていうのもあるのだろう。
それは家族だけではなく、友人の中、恋人等々。
学校や職場、馴染みのお店なんていうのもあるのだろう。。
居場所というのはハード面とソフト面の2つがあるように思う。
家や部屋という物理的なものと、家族や友人といった物理的ではないもの。
そのどちらも大事なものなのだろう。。
思えばこれまでの私には居場所というものが無かったように思う。
家族の中にいても何となく虚しかった。
どこか自分を曝け出していなかった。
根本的に人を信じてはいなかったのだろう。。
何故か気を使っていたように思う。
そんな中で無理をしていたのかもしれない。
別居してからもその状態は続いていた。
一人になった自由も見逃して、ただ孤独感に曝されていた。
それは更に私を憂鬱にさせた。
でも今は違っている。
孤独感というのをあまり感じなくなっている。
日常の生活が変わったわけではない。
休日などは誰とも会話しないことのほうが多い。
それでも感じないのだ。
私は独りではない。
そう感じさせるのだ。
私は居場所を見つけたのかもしれない。
居場所は多く持つ必要はないと思う。
1つか2つ持っていればいいように思う。
それでも、それに気づかなかったり、それを持っていない人というのが多いように思う。
けれどもきっと、そうではないのだ。。
そこに溶け込もうとしていないのだ。
受け入れようとしていないのだ。
気づこうとしてないのだ。
きっと。。
居場所というものは見つけ出すものではないかと私は思う。。
そういう意味では私は今、足掻いている。
部屋の中ではなく、外に見つけようとしている。
あまり人とはかかわらず、それでも人がいて、気が向いたら関われる場所。
そんな場所が私の理想だ。
そういった場所でのんびりとBlogなんか書いて過ごす。
静かな音楽があればなおいい。
時間がゆっくりと流れる場所。
そんな場所が「居場所」なのかもしれない。。
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