2013年12月27日金曜日

仕事納め

今日で年内のお仕事はおしまい。
通常勤務は15時まで。
あとは大掃除だそうだ。

今年は自分でもよくやってきたと思う。
このモチベーションが来年も続いてくれたらと思う。
良かった年なのか、そうでないのかはまだ分からない。

ニュースでは今年を振り返った構成になり始めた。
年末年始の特別番組も始まった。
世の中は年越しに向かって盛り上がりつつある。
けれども、私はいつもと変わらない。
まぁ、実家もないし、一人暮らしだから仕方がない。
これを孤独と見るのか、そうではないと見るのか、それは分からない。

幸福というものを以前書いた記憶がある。
幸福には明確な定義はない。
だから考え方次第だと。。
しかし、そうではない部分もあるような気がする。

それは、他人から見た幸福感ではないだろうか。
ある意味では客観的なものだといえる。
けれども、それは一般的な常識から来るのではないだろうか?

常識というものはなんだろうか?
私達はこの言葉を比較的使っている。
一般的なマナーとか言動という意味なのだろうか?
知識という側面もあるのだろう。
けれども私はこの言葉こそ主観的なものではないかと思っている。

私達が常識という言葉を使うとき、その多くは「常識がない」というものではないだろうか?
そしてそれは大抵他人に向けて使われている。
それが一人であっても、複数であっても同じように使われている。
しかも多くは悪意が含まれているような気がする。

世の中には虐めというものがある。
多くの人間が少ない弱者に攻撃を加えるものだ。
虐める側にもストレスがあり、フォローしていかなければならないなどという言葉も聞いたことがあるのだが、彼らがそうする言い訳として「常識」という言葉はないだろうか?

虐める側に処理しきれないストレスがあるとしたら、それは別の方法でフォローしていかなければならないと思う。
しかし、その背景に常識という言葉があるとしたらこの言葉ははたして使っていくのはいいのだろうか。
私はこの常識という言葉は、幸福と同じように明確な定義はないような気がしている。
だから私はこの言葉をあまり快くは思っていない。

使い方には注意が必要な言葉、その一つがこの言葉ではないだろうか?

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