2013年12月31日火曜日

大晦日

年末のカウントダウンもあと数時間となった。

街の雰囲気もなんとなく変わり、奇妙な静けさに包まれている。

去年までの大晦日は一人で過ごしたが、今年は人に囲まれて過ごせそうだ。

 

やはりこういう時は一人でいないほうがいい。

寂しい年越しはろくなことを考えさせない。

私の生活も少しずつ改善されてきているのだろうか?

 

考え方を少しだけ変えてから気持ちは楽に過ごせるようになった。

人の集まるところに行ってもきっと私は独りでいるのだろうが、それに違和感は感じないだろう。

なんにせよ、呼ばれるというには嬉しい事だ。

さて、そろそろ時間だ。

出かけることとしよう。

2013年12月30日月曜日

とある昼下がり

11時45分、遅く起きた朝の朝食兼昼食。
空はよく晴れている。
日向は暖かく優しい冬の日だ。
嫌いな冬の中でもこういう日は嫌いではない。

今年という季節のカウントダウンは既に始まっている。
心なしか街の空気が違う。
そんな中で奇妙な違和感を感じている。
どこかが違うような、そんな気がしている。

昨夜、私は優しいと言われた。
最近よく言われる言葉だ。
この言葉はリワークのスタッフさんにも言われた。
言われて嬉しくないといっては嘘になる。
けれどもやはり違和感がある。

自分に対して自分が抱いているイメージと他人が感じているイメージがこれほど違うものなのだろうか。。
自分は決して優しい人間ではないと思う。
ただ人付き合いが苦手なだけなのだ。

けれども,優しくありたいとは思う。
誰もがそうだと思うのだが、私はその気持ちが強いようだ。
優しくされなかった生育歴がそうさせるのだろう。

人は得られなかったものを強く欲しがるものなのかもしれない。
そうすることで自分の心の中にある空白を埋めようとしているのかもしれない。
だから私は優しい仮面をつけているのだろうか
だが仮面であっても、それもまた私自身なのだ。
特に否定する必要もないのだろう。
そのうちに、それも私の人格になってくれることを信じていよう。

2013年12月29日日曜日

混雑

だんだんと年の終わりが近づいてくる。
ニュースでは旅行や故郷への移動が始まっているとはいうものの、意外と人は減っていない。
いつものお店も混んでいるし、ガソリンスタンドも車が繋がっている。
スーパーなども買い出しの人達で混んでいる。
なかなか人は居なくならないものだ。。

今日は昨日よりも少し落ち込んでいる。
理由はきっとこの季節だからだ。
世の中はいつもと違う。
何となく浮かれているように感じる。

こういう時の孤独感にはなかなか慣れない。
どうということもないのだが、やはり寂しさは忍び込んでくる。
困ったものだが、仕方がない。
周りを気にせずにのんびりとすればよいのだ。

それでも少しだけ体は動かしている。
休み休みだが掃除をしたり買い出しに出かけたり。
そうしていると憂鬱な気分は忘れてしまえる。
少し気だるい身体が心地良い。

今日は幾分温かいようだ。
日陰の部分はそうでもないが日向はポカポカとしている。
スクーターに乗ってもそれほど苦ではない。
まぁ、昼間の間だけだろう。

そういったことに神経を向けるのは、やはり寂しさに向き合おうとしていないからだろう。
それを勇気がないと見ることも出来るのだろう。
それを否定はしない。
否定をしたからといって、この寂しさがなくなるわけではないからだ。

それでも、根本にあるものは捕まえたほうが良いのかもしれない。
これは今だけの限らず毎年訪れる感情だからだ。
そして一生付き合っていく感情でもあるからだ。

私が人嫌いである理由の一つにはそんな感情があるからなのかもしれない。
一生これと付き合っていくかそうでなくなるのか、その答えがこれからの生き方にあるのだろう。

2013年12月28日土曜日

12月28日

今日は12月28日、来年まであと3日だ。
私の会社は昨日で仕事納めだった。
復帰して1ヶ月、割と早く感じた。

そして今日は年内最後の通院日。
休み前なので混むだろうと思って早めに家を出た。
案の定、病院は混んでいる。

それだけ世の中には病んでいる人が多いということだ。
ここに来ている人の数だけ苦しい現実があるともいえるのだろう。
それがどのようなものかは私には分からない。
知る必要もないのだが。。

けれどもこの人たち、一見すると普通の人なのだ。
その中にいる私もそう見える筈だ。
そう、心の病は外からは見えないのだ。

重篤な人は一見して解かる。
雰囲気が違うからだ。
では、普通に見える人達の苦しみは大したことがないのだろうか?

私はそうは思わない。
皆、自分の置かれた状況に苦しみながら生きているのだ。
病気の苦しみを抱え、自分が普通でないと悩み、心無い言葉に曝され、病気の症状を強くする。
堂々巡りなのだ。

この悪循環はどこかで断たなくてはならない。
心に強く影響を与えてくるストレスから逃れていかなければならない。
その方法は人様々であるが。。

どうして分からないのだ?!
そんな思いを抱えていた時期がある。
理解されないことに憤りを感じていたのだ。
それは、私の怒りに拍車をかけた。
周囲とは異質な自分を私は呪いさえした。
私が周囲の不幸を一心に背負っているから、周囲は幸福なのだ。
そうも思っていた。

けれども、それは違うのかもしれない。
理解されないのではなく、理解できないのだ。
自分が異質なのは、病気だからだ。
不幸を背負っているから周りが幸せなのではない。
周りはもともと私の持っていないものを持っているだけなのだ。
ただそれだけの事なのだ。

理解できない人を、理解させるようには出来ない。
病気ならば治療を受ければいい。
持っていないものがあるのなら、持てるようにすれば良い。
言葉でいってしまうのは簡単なのだが、これは意外と難しい。
それでも、そう思ったほうが気が楽なのだ。
自分から苦しみに飛び込むことはない。

待合室の人は減らない。
皆どのような思いで今日を生きるのだろうか?
でも、私にはそれを考える余裕はない。
今を生きることで精一杯なのだから。。

246

今年最後の病院通い。
246は思っていたほど空いてはいなかった。
病院に着くと待合室は混んでいる。
年末なんだと感じると同時に病んでいる人の多さを再認識する。

246を走っている時間は1時間弱だ。
電車で通うことも出来るのだが、人混みが嫌なのでスクーターで通っている。
私にとって唯一の足だ。
このスクーター、多くは買い出しに活躍している。
前のやつは事故でお釈迦になってしまったので買い換えたものだ。
中古であるが気に入っている。

渋谷に来る途中、多摩川を渡るところがある。
スピードを出しやすい橋で皆すっ飛んでいくのだが、私はそうは出来ない。
スクーター自体がそれほどスピードを出せるものではないのだが、何より寒いのだ。
体が凍えてしまうのでスピードは出せないのだ。

あと数日もすればこの周辺から車の影は少なくなってしまうのだろう。
年に1度、訪れる風景だ。

2013年12月27日金曜日

静寂

今はお昼休み。
昼食を終えてゆったりとしている。
職場には11人ほどいるのだが、今は思い思いのことをしていて静かだ。

もともと私は静かな時というのが苦手だ。
家にいるときにはたいていテレビかラジオをつけている。
寝るときも無音状態というものが苦手なのでラジオをつけているくらいだ。
無音状態に恐怖すら感じている。

無音の状態になると自分の存在が危うくなったような錯覚に陥る。
孤独感というものも一段と強く感じる。
それが恐怖を引き起こしているようだ。

私の記憶の中には駅に置き去りにされたというものが鮮明に残っている。
それが夢なのか、現実であったのかは定かではないがとても強い記憶だ。
取り残されたというか、自分の存在が否定されたように感じた。
幼い頃だったので親の庇護がなければ生きられないからだ。

また、闇の中にいるというイメージもある。
そこは僅かな光すらなく、人の気配さえ感じない。
勿論、音などは存在しない。

そういう記憶やイメージが無音状態に対して私が過敏に反応してしまう理由なのだろう。
無音=闇という図式があるのかもしれない。

だからといって賑やかなところが好きだというわけでもない。
どちらかというと苦手だ。
沢山の人が苦手なのだ。

結局寂しいだけなのかもしれない。
多くの人は好まないが、である。
これを直そうとは今のところ思ってはいない。
記憶を消すことは出来ないし、夜中のラジオをつけていても問題が無いからだ。
いつかは直ってくれるのだろう。
そう思っている。

いじめ

虐め、昔から存在していて無くならないものだ。
最近ではそれが原因で亡くなってしまう人すらいる。
これは、子供の世界だけの話ではなく、大人の世界でも存在している。
なくそうとしても、なくならない言葉だ。

私は、この言葉を使うこと自体が「甘え」だと思っている。
肉体に物理的な攻撃をしても、精神的に追い込んでしまうことでも、それは立派な「傷害」事件だ。
対象となった人が亡くなってしまったり、精神的な深井傷をおってしまえば更にその罪は重い。
虐めという言葉で、それを実行している者と傍観しているもの、更に関わろうとせずに隠蔽してしまう者の甘えでしかない。

では何故この事象はなくならないのだろうか?
そこには虐める側の処理できないストレスに答えはあるのではないかと思う。

人間は集団で暮らす社会的な生き物だ。
従って集団の中での平和の維持が必要不可欠だ。
だが、複数の存在が等しく平和な心を維持することは難しい。
ここにある矛盾を解決するための手段が虐めではないだろうか?
僅かな弱者に対して攻撃を加えることで自らの本能を満足させるものではないのだろうか?
だとするのなら、これをなくすのは難しい。

精神の病には「自分若しくは他人を苦しめる状態」という定義みたいなものがある。
他人に苦痛を与えるこの行為は、この言葉を適用するならば「病気」としても良いのではないだろうか?
人一人の人生を壊してしまうような行為を行うものが、その罪を背負わないことが正しいとは思えない。
せめて重篤な精神的病として治療の対象にすべきではないだろうか?

虐めを行う行為者をこのままにすべきではない。
社会から一時隔離して治療をすべきだと私は強く思っている。

仕事納め

今日で年内のお仕事はおしまい。
通常勤務は15時まで。
あとは大掃除だそうだ。

今年は自分でもよくやってきたと思う。
このモチベーションが来年も続いてくれたらと思う。
良かった年なのか、そうでないのかはまだ分からない。

ニュースでは今年を振り返った構成になり始めた。
年末年始の特別番組も始まった。
世の中は年越しに向かって盛り上がりつつある。
けれども、私はいつもと変わらない。
まぁ、実家もないし、一人暮らしだから仕方がない。
これを孤独と見るのか、そうではないと見るのか、それは分からない。

幸福というものを以前書いた記憶がある。
幸福には明確な定義はない。
だから考え方次第だと。。
しかし、そうではない部分もあるような気がする。

それは、他人から見た幸福感ではないだろうか。
ある意味では客観的なものだといえる。
けれども、それは一般的な常識から来るのではないだろうか?

常識というものはなんだろうか?
私達はこの言葉を比較的使っている。
一般的なマナーとか言動という意味なのだろうか?
知識という側面もあるのだろう。
けれども私はこの言葉こそ主観的なものではないかと思っている。

私達が常識という言葉を使うとき、その多くは「常識がない」というものではないだろうか?
そしてそれは大抵他人に向けて使われている。
それが一人であっても、複数であっても同じように使われている。
しかも多くは悪意が含まれているような気がする。

世の中には虐めというものがある。
多くの人間が少ない弱者に攻撃を加えるものだ。
虐める側にもストレスがあり、フォローしていかなければならないなどという言葉も聞いたことがあるのだが、彼らがそうする言い訳として「常識」という言葉はないだろうか?

虐める側に処理しきれないストレスがあるとしたら、それは別の方法でフォローしていかなければならないと思う。
しかし、その背景に常識という言葉があるとしたらこの言葉ははたして使っていくのはいいのだろうか。
私はこの常識という言葉は、幸福と同じように明確な定義はないような気がしている。
だから私はこの言葉をあまり快くは思っていない。

使い方には注意が必要な言葉、その一つがこの言葉ではないだろうか?

2013年12月26日木曜日

生きられない人

生きられない人というのがいる。
いわゆる肉体的な病気ではなく、精神的に追い詰められてと言う意味でである。
生きられずに悩む人、実際に手を下して失敗した人、望みが叶ってしまった人。。。

そういう人達を正論では救えない。
何故なら、正論は個別の事情を考慮していない無責任な言葉だからだ。

人はよく「頑張れ」という。
これもまた無責任な言葉だと私は思う。
精神的に追い詰められてしまった場合、まず大切なのはその人の「事情」を理解することではないだろうか?
普通の人はそれをすっ飛ばしてこのような言葉を使い、救ったように感じて満足する。
それでは解決にはならないのだ。

こうした場合、大事なのは傾聴の姿勢だといわれている。
自分の意見を挟まず、唯相手の言葉を聞く。
だが、それはとても難しい。
どうしても自分の言葉が出てしまうからだ。
そして、こうするべきだと言ってしまう。
それでは普通の人と何ら変わることはない。

私もまた、生きられない人の一人だった。
正論を言ってくる人もいた。
もちろん私の身を案じてなのだが、それは私の心には届かなかった。
そのために何度か死を試みた。

それが失敗したから今こうしてここにいられている。
過去に起こしたその事を今、悔やんではいない。
生きる術を見失って、なお行きたいと思った結果だからだと理解しているからだ。
この一見矛盾しているような感情は、実は私の中では破綻せずに両立している。
死を選ぶということは最後の防御であり、同時に最後の攻撃でもあるからだ。
それは全て心が生き続けるために行われるからだ。
この事を普通の人々は理解していない。

さて、では私は生きる術を見つけられたのだろうか?
答えは否である。
では、まだ生きられない中にいるのだろうか?
これも答えは否である。
矛盾しているが二つの否が存在している。
生きてはいける、でも積極的には生きていない。
そんな状態なのだ。

今はそれでもいいと思っている。
そう簡単には自分の性質は変えられない。
それには時間が必要なのだ。
だから積極的に死を選ばないだけいいのだと思う。。
生きる術はこれから見つけていけばいいのであるから。。

あと2日

今日は26日、会社での年内の通常業務はあと2日だ。
ここまでよくやって来たと思う。

今年は色々な事があった。
会社復帰を見据えたメンタルケアのリワーク参加
9月の交通事故と入院。
会社への復帰。
大きな出来事でもこれだけある。

結局これまでの出来事は悪い方向にはいっていない。
交通事故の骨折も今はほとんど痛まない。
会社への復帰もメンタルケアが良かったのか、今のところ上手くいっている。

実際、メンタル面のケアが大事だということは今回の休職で痛感した。
モチベーションの維持が私にとっては大事だということが分かった。
これまでは、そういう事をしてこなかったのでモチベーションが維持できなかったのだ。
根性論では対処できないことが分かった。

この国には未だ根性論が生きている。
私達のような病を背負っている者にとっては生きにくい社会だ。
少しずつ理解は広がってきたが、まだ十分だとは言えない。。
病気の振りをしているなどという言葉や気狂いなどという言葉も生きている。
私達は病の部分を除けば普通の人間だというのに、である。

このような状況はいつまで続くのだろう?
少なくとも私が生きている間は現状のままだろう。
そうした中でも社会と関わりながら生きていかなければならない。
少しずつフォローしてくれるところは出てきているが、まだ十分だとはいえない。

これは体の面で不自由さを背負っている人にも同じ事が言えるのだろう。
私も若干の不自由さを持っているが、それに気づかれることさえない。
如何に世の中が健常者を中心に出来ているか。
彼らもいつこちら側に来るか分からないというのに。。

今のところ、人の痛みを感じることのできる人は少ない。
個性を大事にするということが、それに拍車をかけているような気がする。
唯単に生きるということだけが大変だという人もいるのに、世の中はそうなってはいない。
どうしても、そういう人は孤独になりやすい。
そんな世の中だから生きていたくない人が減らないのだろう。

苦しみを背負っている人が、自ら周囲や考え方を変えていかなければ生きられないという世の中は果たして良い世の中なのだろうか?
どこかに違和感を感じてしまう。
それを「甘え」と言う人はきっと多いのだろう。
けれども、不自由さを背負う人が生きにくい世の中であり、行きたくないと言う人が減らないのも事実だ。
他人を変えるということは出来ないといわれているが、変えていかなければならないことも事実なのだろう。
後の世に生まれてくる人が少しでも生きやすくするためには。。

2013年12月25日水曜日

聖夜あけて

昨晩は聖夜だった。
私の住む街も心なしか浮かれていたように感じだ。
一人暮らしの私にはあまり関係のないことだ。

とは言ってもさほど落ち込んでしまったわけでも無い。
何がつまらなさを感じたので、少し外出をして過ごしたのが良かったのだろう。

確かに淋しさはないとはいえない。
誰か一緒に過ごせる人がいればこういう思いは感じることはないだろう。。
だが、現実は違うのだ。
こういう時に孤独というものを感じてしまう。

一人は自由だ、そう言っている自分は実は空元気を出しているだけなのかもしれない。。

ただ、時にはそれも必要なのではないかと思う。
周囲の環境と現在の自分のそれとを比較してもどうにもならない。。
比較は心にとって負担以外の何ものにもならない。。
そんなものを見て落ち込んでいる暇はないのだ。
無意味なネガティブ思考はしないほうがいい。。
心が楽に過ごせること、それが一番いい。。

まず、周囲に惑わされることなく、自分のリズムを崩さないことだ。。
そうすれば道は開けてくるはずだ。
絶望は何にも生み出さない。
それだけは確かなことだ。

まず、自分の足元を固めること。
それがしっかりとしなければ現実に振り回されるだけだ。
理想と現実とのギャップを見つめることは苦しむだけだ。
だから今日も私は自分に言い聞かせる。
一人は自由なのだ。
それが空元気だと分かっていても。。

2013年12月24日火曜日

兆し

p今朝、会社に行きたくない。という夢を見た。
実際に起きてみると苦もなく起きられた。
今朝の夢はなんだったのだろう?と思った。

以前からこの夢のようになるのを怖いと思っていた。
漠然としたものだったが、その怖さは変わらず持っている。
やはり、あの苦しさを覚えているのだろう。。
今朝の夢はその現れなのだろう。。

たかが夢、と片付けてしまうのは簡単だ。
それ以外の何ものでもないからだ。
でも、それでいいのだろうかとも思う。
これはサインなのではないのだろうか。

復帰して1か月が過ぎた。
ここまでは順調にきている。
順調すぎるので逆に不安を抱えているのかもしれない。
いつあの感覚が戻ってくるのだろうかという不安だ。

私は長い間、軽い欝のような状態で過ごしてきた。
だからこれほど短時間でいわゆる「普通」の感覚を持ったことに正直驚いている。
そのせいもあるのだろう。
こういう不安を感じてしまうのは。。

それは無理のないことなのだろう。
気持ちがこれだけ変化するのには、もっと時間がかかると思っていたからだ。
けれどもこれだけ早い時間で回復できたのも事実だ。
それは信じていい事実だ。
以前の休職明けとは全く違う。

それに出社後の暇つぶしもやっている。
缶コーヒーを飲みながらテレビをつけてBlogを書く。
ゆったりとリラックスした時間を過ごしている。
これも以前とは違うことだ。
上手くとはいえないだろうが、ストレスから遠ざかった時間だ。

ストレスを発散する方法は様々にあるのだろう。
インドア派の私にはこう言った行動がストレスを発散しているのだろう。
また、自分と向き合っている時間ともいえるのではないか、そんな風にも感じている。
それが意識して出てきた行動ではなく、自然に取るようになった行動ということが大事なポイントなのではないかと思う。
自分と向き合うと入っても極表面的なところでしかないのだが、その行動を取る意味は大きいと思う。

だから今朝の夢を深く考える必要はないだろう。
ただ、サインを見逃さないようにしていくことを忘れさえしなければ。

2013年12月23日月曜日

曇り空

今日は朝から曇っている。
厚い雲が空を覆い、日差しらしいものがないので風が冷たい。
休日に来るお店の暖房も心なしか温度が低いように感じる。

思えばこれまでのわたしの心には今日の空のような厚い雲が掛かっていたように思える。
どんよりと薄暗くて日差しの温かみも無い凍った世界の様だった。
だから出口が見えなくて苦しんでいた。

一体何がこんな状態にしていたのだろう?
そんな風に考えることがある。
そこには不遇な運命と思い込んでいた自分が居たような気がする。
では何故そう思っていたのだろう?

少し前に見たテレビ番組で鬱病のことをやっていた。
そこでは、魚でさえも欝状態になると言っていた。
天敵のいる水槽内で絶えず生命の危機を感じさせるようにすると魚は欝状態になるのだそうだ。
これは防御本能に絶えず強いストレスを与え続けた結果なのだそうだ。これは私の状況に似ているのではないか、そう感じた。

私も絶えずストレスの中にいた。
親類から生きることを否定され、絶えず苛められてきた。
まるでそれは先ほどの魚の状態に似ている。
欝状態になっても不思議ではなかったかもしれない。

私にはもうひとつの側面がある。
それは激しい怒りを制御出来ないという側面だ。
これもまた、生育歴の中に答えはあると思っている。
親類からの苛めの中、理不尽な出来事を呪っていた。
そして力の無い私は、それを心の奥に押しとどめなければならなかった。
力のある者が行う不条理なこと。
それは私の中に蓄積され、表に出ることを待っていた。

それが表に出たのが私の病なのだろう。

二つの側面は私の中にわずかに残っている良心というものを締め付けた。
それが私の中の苦しみだった。
今、まだそれは解決できていないように思う。
多分それは私の残された人生の中で解決していくことなのだろう。
それでも私はもう心の闇という感覚はなくなってきている。
私の曇り空にもうっすらと日差しが差してきたのではないのだろうか。。

2013年12月22日日曜日

踏んだり蹴ったり

一昨日から昨日にかけて困った出来事が続いた。
友人たちと飲みに行って靴はなくすし、ポケットWiFiの電源は入らなくなる。。
全く困ったものだ。
結局新しい靴を買ったし、WiFiはサポートセンターに電話をして回復はしたのですが。。

以前はこうした小さなことでも悪目のことが起きると気持ちがひどく沈んでしまっていた。
何故、自分にばかり不幸な出来事が続くのだろうと。。
けれども今は不思議と違って、軽く受け流している。
靴の件は「新しい靴を買え」という知らせだと解釈しているし、サポートセンターへの電話は殆ど待たされずに良かったと思っている。

こういうのをアサーティブな考え方というのだろうか?
大体が逆というか、悪く考えないことが自然にできている。
なので、気持ちが必要以上に沈みこまない。
フラットに保つことが出来ている。

実際、良い事と言われるような出来事は起こっていない。
現状は以前と何ら変わっていないのだ。
それがどういうわけか悪いこととは思っていないのだ。
これはどういう事なのだろう?

それに休日は割と活動的になっている。
勿論、以前と比べてという意味である。
以前は一日の殆どを寝て過ごしていた。
嫌な現実に向き合わないからいいと思っていたからである。
今では休日にしては割と早めに起きてゴソゴソと動くようになった。
それでさほど疲れないのだ。

仕事中に感じる時間の感覚というのもかわってきた。
妙に早く感じるのだ。
作業は以前とさほど変わっていない。
それなのに、である。
1日が楽しいという訳ではない。
苦痛でないのだ。
私の周りの空気は穏やかに流れている。
そう感じているのだ。

この状態がいつまで続くかは分からない。。
それでいいとも思っている。
自分は主役でなくてもいい。
周りの空気に溶け込められていられればそれでいい。
穏やかな空気に包まれて、穏やかに暮らせればいい。
ポジティブな考え方ではないが、楽な生き方ではないかとさえ思っている。

2013年12月20日金曜日

今朝、会社の窓から虹を見た。
本当に久しぶりに見た感じだ。
それまで空を見るだけの余裕がなかったのだろう。
いい気分になった。

今のところ朝の憂鬱感はない。
やる気が出ている訳ではないが、悪くない気分だ。
起き抜けの眠さはあるが大丈夫だ。
気持ちは安定している。

一週間も苦もなく暮らせている。
以前は水曜日までが長く、憂鬱だったのだが、そんなことも無い。
いい感じだ。

今日の虹は少しぼんやりとした感じだった。
まるで私の心理状態に似ているような感じだ。

物事は何もはっきりとしていなくてもいいと私は考えるようになった。
そういう考えは良くないのかもしれないが、私には合っていると思う。
ぼんやりとしている中で苦しくなければいいのだ。
フラットな心理状態で苦もなく暮らせることが私なりの幸せなのだ。
これは大きく変わったことだ。

苦しかった時、記憶を消せればいいと思っていた。
生活環境が変わればいいと思っていた。
心の状態が変わってくれればいいと思っていた。
誰かに救われたいと思っていた。
けれども、それらが叶うことはなかった。。

他人を変えることは出来ない。
記憶を消す事は出来ない。
過去を変えることは出来ない。
だから苦しさから抜け出すことは出来ない。

けれども、自分は変えられる。
その方法は考え方を変えることだ。
ネガティブに考えてきたことをフラットな考えに変えることだ。
でも、具体的にどうすればいいのかは、今の私にも分からない。
うまく説明が出来ないのだ。

例えば嫌いな人がいたとする。
その人間と関わらなければならないとする。
とてもストレスがかかることだ。
そんな時、私は機械になろうとする。
インプットを単純にアウトプットするのだ。
そこに感情は交えない。
そして少し距離を取る。
他人は変えられないのだから、他人の行動のことを深く考えない。
そうすると、少しだけ気が休まる。

光が欲しい時がある。
でも、あまりにも闇が深過ぎて光が見えない。。
救われたいと思う。
誰かの手は差し伸べられない。
そして人は絶望して、さらに深い闇に落ち込む。。
でも、本当に手は差し伸べられていないのだろうか?

実は手は差し伸ばされているのではないだろうか?
ただ、あまりにも暗すぎるので見えていないだけなのではないだろうか?
それに気づくためにはどうすればいいのだろう。。

気づくためには自分も光を持たなければならない。
それは小さなものでいい。
ロウソクや豆電球くらいでいい。
自分で光る必要は無い。

その為に、メンタルの世界にはツールがある。
世の中には様々な言葉がある。
それらが小さな光になってくれるだろう。。
光は待っているだけでは手に入らないのだ。

だが、それを手に入れられない時がある。
でも、無理をすることはない。
いつかは人間は回復するのだ。
その時を待てばいい。
必ずそういうときは来る。

信じることだ。
自分に秘められた力を。
それが光となり、闇から抜け出す道を照らしてくれる。
その道はきっと虹のような道であることだろう。
きっとそうであると、私は信じたい。

2013年12月19日木曜日

昨日の夕方辺りから雨が降っている。
季節柄冷たい雨だ。
コートを着て手袋をしてても何となく寒い。
しとしとと降る雨はそれでも傘をささなくても良い。
けれどもこういう雨は心にしみてくる。

じわじわと染み込んでくるのは涙も同じだ。
それも心の痛みから沁み出してくる涙は胸にこたえる。
それだけ心の傷が深いということだろう。。

なんでもないのに気づくと涙を流している事があった。。
哀しいという感情さえ感じてはいないのに、である。
それは街中でも唐突にやってくる。
私はそれを気づかれまいと隠したことが何度かある。

泣く、ということは悪いことなのだろうか?
私は子供の頃、泣き虫だった。
だから「泣いてはいけない」と言われて育ってきた。
それなのに母が亡くなった時は泣けなかった。
17歳の頃のことだった。
自分はなんて薄情な人間なのだろうと思ったことを今でも覚えている。

泣くということはどういうことなのだろう?
哀しい時、感動した時、時には嬉しいときにも人は涙を流す。
それが普通だと思う。
けれども、なんでもないときに出る涙は何なのだろう?
涙が出たあとに悲しさが追いついてくる。
けれども自分には 、その悲しささえ分からない。。

それを病気だと言い切ってしまうこともできる。
事実そうなのだろう。
でもそれだけでは割り切れない自分がいる。
きっとそこにも理由があるのだろうと思うからだ。
心の奥底にある理由。
それを知る必要はあるのだろうか?

物事には知らなくてもいいこともある。
知ることで悲しみと向き合い、苦しくなることもあるのだろう。
心がきっと奥底に隠すのは、それと下手に向き合うと壊れてしまいかねないことだからではないだろうか。
ならばその理由を知る必要はない。
ただその現象だけを受け入れればいいのだと思う。。
心の中に降る小雨と受け止めてしまえばいいのではないかと思う。

冷たい雨は今も降っている。
でも私の心の中の雨は降っていない。
それでも決して晴れているわけではない。
どんよりとした曇り空が広がっている。
そんな風景にもいつかは陽が差してくるのだろう。
今はそれを信じて待っていようと思っている。。

2013年12月18日水曜日

静寂

朝の職場、誰もいないので殆ど音が無い。
元々静かな職場なので業務が始まってもさほど五月蝿くはない。
けれども私はこの静寂が好きだ。

私は音が無いのはあまり得意ではない。
寝るときもラジオをつけっぱなしにしているくらいだ。
だから職場のこの時間は小さなテレビをつけている。
静寂が好きだと言っていながら矛盾している。

静寂は何も音だけに限ったことではないと思っている。
誰も居ない空間、沈んだように静かな空気、薄暗い空間。。
それら視覚などから入ってくる様子も静寂と呼べるのではないだろうか?
そんな様子が私は好きなのだ。。

きっとそれは私の「人嫌い」が働いているのだろう。
人と関わっていくのは人の本能でもある。
けれども、それは時に煩わしい。
その煩わしさはストレスになる。
私はそれが嫌いなのだ。。
ゆったりとした一人の時間、それが私にとって大事な時間なのだ。

あまり人と関わりたくない。
それは私の生育歴にも関わってくるのだろう。。
親類に虐め倒され、人を信じられなくなった幼少期の記憶。
それは今でも私の心に影を落としている。
その為に私は人との適切な付き合い方を知らない。
今更それを変えることも出来ない。
白々しくなってしまうのだ。
でも、何時までもそういうわけにはいかない。
故に考え方を変えていく必要がある。
あの私達家族に危害を加えていた人間の大多数はこの世にはいない。
だからもう苦しむ必要はないのだ。

とはいっても、長い間支配してきた記憶がすぐに消えてくれる訳ではない。
表面はおさまっていて感情はフラットになってくれているといっても、心の底ではどうなのかは分からない。
それがまた、いつ感情の表面に浮かび上がってくるかも分からない。
不安は残るが、その不安に囚われてはいけない。。

現実と記憶を突き合わせて、最も安定する状態を見つけ出す。
そこが鍵となるのだろう。。
そうしている中で、人との距離感を掴んでいく。
それが今、必要なことなのだが、なかなか難しい。
けれども、時間が無いわけではない。
だから焦る必要は無い。
染み付いてしまった性質は急に変化するわけではないのだ。
時間をかけてじっくりと取り組んでいけばいいのだ。
メンタル面のツールも持っている。
まぁ、なんとかなるのだろう。。