最近、自殺について考えることがある。
と言っても死にたいわけではない。
何故自殺を選んでしまうのだろうという疑問があるからだ。
私の場合は怒りを自分に向けたからなのだが、多くの場合は絶望感から来ているように思うのだ。
それでも、よく解らないところがある。
自分の体に火をつけたあとに思ったのは、人間の体は生きようとすると云うことだ。
それでもその後に何度か自殺を図っている。
どうしようもない絶望感に襲われたからだ。
でも、その理由はよく解っていない。
ただ社会から離れたかったのだ。
矛盾した話である。
ひとつだけ解っていることは、その時の私は孤独だったと云うことだ。
一人でいることは今も変わっていないのだが、孤独だと云うことは感じていない。
何故なのだろう?
ひとつには同じように心の問題を抱え、苦しみながらも社会との繋がりを取り戻そうとしている人達がいるということを知ったためだ。
同じように苦しみ、それを受け入れようとしている人達がいる。
それは私にの心を大きく変えた。
そして認知行動療法を知ったことも大きな変革だ。
いざとなれば頼れるツールがある。
これは強みだ。
そして地域に理解者に近い人を見つけたといいのも大きい。
今、そういう場所をもうひとつ見つけようとしている自分もいる。
Skype仲間もいる。
希望は持っていないが、生きられそうな気がしている。
そこにヒントはないだろうか?
理由は様々あるのだろうが、人が死のうと決意したとき、希望を失い、孤独な時ではないだろうか?
そしてそういう時、人は孤独な状態を維持するような環境に置かれてしまう。
自らの意思で、それを意識していなくても。。
彼らに必要なのは、理解者か、共に歩む人ではないだろうか?
だが、彼らにそれを見出だす力はない。
孤独というもの、それが一番の問題なのだと感じている。
でも、解決法が解らない。。
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