2012年10月10日水曜日

敵?それとも味方?

以前カウンセリングを受けているときの話…。

基本「人格障害」ということで私もカウンセラーも私に潜む問題について一致した見解を持ってカウンセリングを行っていた。

そのときにカウンセラーがこんなことを言ったときがあった。

「あなたは自分の周りの人間を敵か味方かという評価をしている」と…。

それは私にも自覚があった。

カウンセラーは更に続ける。

「従ってあなたは他人をとても好ましく思ったりひどくこき下ろしたりすることが激しい」と…。

これは私は自覚をしていなかった。

だが、思い当たることもあった。

そして、こういう評価はなぜ始まったのかという話題になった。

おそらくこれは私の生育歴にあるのだろうということで意見が一致した。

私は母子家庭で育った。

そして母は病弱で働くことができなかったので、母の実家に身を寄せて生活保護を受けていた。

そこで私と母はひどいいじめを受けた。

母は親類から、私はいとこから…。

祖父が亡くなり、僅かな遺産相続の話があったとき、母は帰って来るなり私に「もう生きていたくない」と泣いたことを私は今でも覚えている。

そして私はいとこから「どろぼう」といわれ続けて育ってきた。

そんなことが10年くらい続いたのだろうか?

私は次第に無気力になり、登校拒否(今では不登校といって、その受け皿もできた)に陥った。

当時、登校拒否の受け皿はなく、ひたすら根性論で処理された。

また、今のように心療内科というところが知名度を持っておらず、私の精神状態はそのまま放置されることになった。

私は悪意のある世界で生きてきた。

そんな中で生きていくには、基本私の近くにいる人を「敵」と見なして身構えていた方がいい。という護身術を身につけてしまった。

それは今でも拭い去ることができない私の性格の一部になっている。

正直、その日のカウンセリングは精神的に疲れてしまった。

私はカウンセリングを始めるときにカウンセラーから「本格的なカウンセリングはあなたにとってつらいものになります」と前置きをされて、私も同意していた。

メンタル的なサイトを見るとよく「カウンセラーにひどいことを言われた」という書き込みがあるが、彼ら(彼女ら)はカウンセリングにどのようなイメージを持っているのだろう?と疑問を持つことがある。

一般的な認識ではカウンセリングは「心を癒してくれる」と認識されているのではないだろうか?

私はそうは思っていない。

心の奥深くにある問題に触れるのだから辛いものにあって当たり前なのだ。

その認識が彼ら(彼女ら)にはないのではなかろうか?

勿論、カウンセラーは始める前にそのことをしっかりと患者に認識させ、同意をとらなければならない。

それも十分にはされていないのかもしれない。

以前、私が焼身自殺をしたときの主治医がこんなことを言っていた。

「病気やけがを治すのは患者さん自身の力。薬や私たち医者はそれを手助けしているだけ」

その言葉は私の中に今も残っている。

だから、どんな治療も受け入れられる。

治す作業をする側、治される側には「信頼関係」がとても大事だ。

だが、治される側にはその心構えができているのだろうか?

勿論中にはひどい医者やカウンセラーもいるだろう。

そのときは信頼関係を築ける人をまた探せばいいのだ。

そのために「セカンドオピニオン」という考え方があるのではないだろうか。

治される側にはしっかりした心構えが必要だと私は思う…。

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