2014年4月6日日曜日

2時35分

現在、2時35分。
目が覚めてしまった。。
妙にすっきりしている。

12時過ぎに寝たのでまだ2時間程度しか寝ていない。
それでも熟睡したようにハッキリとしている。
部屋の電気を点けてコーヒーを入れる。
暫く起きてしまおうと思ったからだ。

私は夜中によく目を覚ます。
大抵は眠気が残っていて、すぐに夢の中に落ちるのだが、今夜は違うみたいだ。
こんな日は珍しい。
煙草に火をつける。

昨夜は底冷えがして暖房をつけてしまったが、今はさほどでもない。
外からは雨が降っているような音が聞こえてくる。
小腹が空いてくる。

こうしているうちに、ふと幼い頃のことを思い出した。
何故だかは定かではないのだが、夜中に目を覚ましてしまった事があり、今でもそれを覚えている。
その時はとても怖かった。
その時の私は大泣きをしてしていた。

その頃は夜がとても怖かった。
いわゆる「この世のものではないもの」を信じていたからだろう。
幼い頃ほどではないのだが、それは今でも続いている。
ラジオをつけっぱなしにしてしまうのは、その名残なのかもしれない。

以前は夜中に目を覚まさないとなんだか損をしてしまったように感じたものだ。
2度寝をしないと朝の憂鬱さが大きくなった。
それだけ出掛けるのが嫌だったのだろう。。
鬱の状態がそれだけ酷かったのかもしれない。。

夜が怖いのに、夜中に目を覚まさないと損をしたように感じる。
矛盾した考え方だ。
何故、そう感じたのだろうか?

私の場合、鬱が酷いと眠ってしまうことで治ることが多い。
それを無意識に求めていたのかもしれない。
以前の私は朝に酷い鬱に襲われていたので、それを少しでも治そうとしていたのかもしれない。

リワークプログラムに参加していた頃、この「中途覚醒」に苦しんでいる人が多かった。
私はそれが解らなかった。
どうしても眠ろうとするから苦しいのだ。
そう思っていた。
問題は翌日にきちんと起きられればいいのだ。
そう思っていた。。

中途覚醒に苦しんでいる人は多いと思う。
社会にいる人も、社会から外れた人も、苦しんでいる人は多いのだと思う。
何かの本で読んだのだが、どうしても眠れないときは開き直って起きてしまうのも、眠るための一つの方法なのだそうだ。
私もそう思う。
起きると判断してしまえば、苦しむことはない。
要は朝、決めた時間に起きられればいいのだ。

休職をして動けるようになってから私が最初に行ったのは、毎朝会社に行っていたときの時間に起きるという事だった。
私は早い時間に起きていたので、朝早く起きてもする事はなく、必ず2度寝をしていた。
けれども、それを中途覚醒とは思っていなかった。
時間は充分にあるので、悩むことはない。
そう思っていたのだ。

数ヶ月そんな事をして、次には散歩をするようにした。
朝、その時間に起きて朝食をとった後、1時間ほど歩いたのだ。
時期は冬だったので、辺りはまだ暗い。
だが、それは社会に戻る助走だと思って毎日続けた。
不思議と続けることが出来た。

そして、仕上げとして参加したのが、リワークプログラムだったのだ。
それは事故で入院した事を除けば、毎日参加することが出来た。
参加して暫くして、私は通勤訓練を始めた。

それは会社に行けていたときと同じ時間だったので、周囲にいる人は少なかった。
だから、あまり苦にならなかった。

社会から外れても私はきっと社会に戻れると思っている。
焦ることなく今の自分に出来ることをやっていけばいいのだ。
そう思っている。
焦るから苦しんでしまう、そう思っているからだ。

けれども、焦る気持ちは私にも解る。
前の休職の時の私がそうだったからだ。
火傷が治ってきて、動けるようになると、無理をして出社してしまった。。
今思えば、それは無理なことだったのだ。

だから私は、中途覚醒してしまってもあまり苦しまない。
何だか特をしたように感じているからだ。
起きてしまった分、自分の時間が多くなったように感じるからだ。
2度寝をしてもいい、朝きちんと起きられればそれでいい。
そして朝、きちんと起きられている。
憂鬱な気分もなく、気合いを入れて起きられている。
本来の自分を取り戻した、そう感じている。

今は朝の鬱は感じられない。
抗鬱剤も減薬出来た。
鬱の状態はきっと治ってきたのだろう。

夜中に起きてしまっても、それで良いではないか。
眠ろうとして苦しむのではなく、自分の時間を楽しめばいい。
私はそう思っている。

2014年4月5日土曜日

ちょっと怒った

今日は久々にちょっと怒ってしまいました。
スクーターの強制保険が切れるという通知がきて、その保険会社の代理店に電話をしたところ、どこのコンビニでも入金できると言ったので、駅に行く途中のコンビニで支払おうとした。
ところが、出来ないというので、店員にそんな筈はないと代理店の言ったことを告げた。
すると、店長らしき人が出てきて、同じことを言うのでちょっと切れて代理店に電話をかけさせた。
そして、代理店と話すと、私の言ったコンビニでは扱っていないとのこと。
そこで私は切れた。

少し大きめであらげた声になり、相手にミスを自覚させ、結局今夜部屋に来させる約束をさせてしまった。
相手の態度がどうしても許せなかったからだ。

けれども、以前のようにその怒りが持続することもなく、病院に着く頃には治まっていた。

このエピソードを主治医に伝えたところ、まぁ喜怒哀楽の範囲で心配することはないだろうというお言葉だった。

以前ならこういった怒りの衝動は、かなり強い状態で長い時間続いたものなのだが、最近は怒りにつながらなかったり、怒ってしまっても強い感情が長く続くことはなくなってきた。
これは、孤独感や鬱っぽい気持ちにも同じことがいえる。
僅かなぶれ程度ですんでいるのだ。

主治医の判断は前回の通院の時からそんな感じだったので、抗うつ剤の一つを減薬していた。
2週間の減薬でも鬱になることは殆どなく、また今回のエピソードも喜怒哀楽の範疇と言うことだったので、抗鬱剤の一つを今回なくすことが出来た。

少しずつ薬の方は軽くなってきている。
病気が治ってきたのかもしれないという言葉も主治医の口から出てきた。
それでも、諸手をあげて喜べない自分がいる。
やはり「再発」が怖いのだ。

鬱の症状はそれだけ怖い。
社会から完全にドロップアウトしてしまうからだ。
心の苦しさと惨めな気持ちに襲われてしまうからだ。

今回の怒りは私も喜怒哀楽の範疇だと思う。
全く平坦な感情では、人間ではない。
感情を持っているからこそ、人間なのだ。
それは良いときもあれば、そうでないときもある。
その感情をうまく制御できるのが健常者なのだろう。
ならば、私も健常者に近づいてきたのだろうか?
恐らくは、そうではないのだろう。
再発への恐怖がなくなり、薬に頼らなくなったときが健常者なのだろう。
そんな日がいつかは来てくれる。
そう信じて今日も無理をせずに生きていく。
それが今、出来ることだからだ。。

2014年4月4日金曜日

アンドロイドPC

少し心のこととは離れた話をしよう。

今日、偶にいくジャンク屋で面白い物を見つけた。
アンドロイドのパソコンだ。
タブレットが普及する前に市場にでていたもので、今となっては珍しい物だ。
思わず衝動買いをしてしまった。

このパソコンは開いた状態でタブレットの大きさと同じくらい。
私の持つノートパソコンよりも小さい。
パソコンだからキーボードがついている。
タブレットと比較すると入力はしやすい。

けれども、画面が横なので、アプリによっては画面が寝てしまう。
オフィス互換ソフトは動作が鈍いなどデメリットもある。
このBlogを書いているアプリは正常に動作している。

速度はノートパソコンに比べてサクサクと動いてくれる。
丁度Windowsが普及する前のDosの頃のように快適だ。

問題は使い道だろう。
丁度ノートパソコンとタブレットの中間的なところにこのパソコンは位置しているのだと思う。
文章を書くときにはテキストエディッタを使えばいい。
Blogも書ける。
ノートパソコンよりも小さいので、持ち運びにもいい。
そういう使い方になるのだろうから、会社に持って行く物になるのだろう。
バッテリーの持ちも良いみたいだ。
まだポケットWiFiの設定をしていないので、それが済んだら本格的に使うことになる。

珍しい物が好きな私にとって、丁度良い玩具だ。
暫くはこれで遊んでも良いのかもしれない。。

2014年4月3日木曜日

理解者

今朝方、少し悲しい夢を見た。
私の病気が出てしまい、周囲を振り回してしまったのだ。
そして、周囲に理解されずに、心を傷つける言葉を受けてしまったのだ。

夢の中で私は自分の苦しさを必死に訴える。
私の話を聞いていた人は、始めは聞き入れなかったが、少しずつ理解を示し始める。
夢はそこで終わった。

理解されない苦しさ、悲しさは未だに心の中に残っているようだ。
目が覚めた時、ほんの少し悲しい気持ちがした。

何故、こんな夢を見てしまったのだろう?
目が覚めてそんなことを考えた。
夢は記憶を整理する行為だと昔何かで読んだような気がする。
するとこの夢は記憶を整理しているのだろうか?

しかし、嫌な記憶ほど消えてくれることはない。
この夢を見ても悲しい記憶は心の片隅に残っている。
では何のために見たのだろうか?

思うに、夢は記憶を消すのではなく、受け入れる作業なのかもしれない。
この夢を見たあと、受け入れられなかったことに対する感情が治まったような気がしている。

私はこれに似た夢を何度か見ている。
その度に理由を考えてきたが、答えは見つからなかった。
しかし、感情は次第に治まってきたような気がしている。
少しずつ感情の制御が出来てきているのかもしれない。

ならばこれは喜ぶべきものなのかもしれない。
行き場のない怒りが治まってくれるのならば、周囲の人を振り回してしまうこともなくなってくれるのではないだろうか?

この怒りがいつ治まってくれるのかはまだ解らない。
解らないなりに出口が見えてきたような気がする。
それは、果てしなく遠いものではなく、確実に近づいているもののような気がしている。
ならば、希望を持ってもいいのではなかろうか?
そんなことを考えたりもしている。

2014年4月2日水曜日

のんびりと過ごす

いつものように朝の日課は続いています。
朝食の後でのコーヒータイム、会社に来てからのBlogの更新。
幸せだと感じられる時間だ。

「書く」ということは、私が好きな行為の一つだ。
漠然として言葉にならないものを文字にして言葉に変換する。
それは一人で暮らす私にとってとても大事なものだと思っている。

仕事でも「書く」という行為はあるのだが、そこに自由はなく、あまり好きな行為ではない。
ただ、淡々と時間が過ぎていくのを待っている。
仕事の時はそんな感じなのだ。

では、部屋で過ごしているときはどうなのか?
これは割と何もしないで過ごしている。
疲れていることもあるのだが、何もしないという行為が好きなのだ。

また、Skypeなどで人と話していることもある。
入浴をしたり、心の状態の記録をつけたりもする。
意外と部屋にいるときは忙しいのだ。

それに私はスタートをきるのが遅い。
だから始業間際に来て仕事に向かうということが苦手なのだ。
会社に来てからの1時間は、私にとって大事な時間なのだ。

だから早起きを強いられてもこの日課をやめようとは思わない。
一人の時間を楽しめるものだからだ。
一人であっても充実した時間。
これからも、これを大事にしたいと思っている。

2014年4月1日火曜日

奪われたもの

先日、会社の人間が自殺をした。
39歳と若い年齢だったので死因を聞いてみたところそうだった。
仕事で追い込まれていたのではないかという話もあり、借金があったとも言われているようだ。

人は何故、自殺をしてしまうのだろう?
私は半月ほど意識を失っていたことがあって、その時に感じたのは人は生きるようにできているということだった。
その意識を失った原因はやはり自殺だった。
死にたいと思っていたのだが、体は生きたいと思っていたのだろう。
こういった矛盾を人は抱えているのだろうか?

私はそこに矛盾はないと考えている。
そもそも自殺の原因の中に「生きたい」という思いがあるのだろうと考えている。
「死にたい」と思っている中に「生きたい」という気持ちがある。
それこそが矛盾ではないか?
誰もがそう思うのであろうが、私はそうは思わないのである。

では、何故死のうとしてしまうのだろうか?
死を決意するまでの間、人は懸命に生きようとする。
追い詰められていく限られた環境の中で必死に生きようとする。
しかし、現実は変わらない。
追い詰める力は変わることがなく、だんだんと自分を失っていってしまう。
しかし、人はそれでも生きたいと思う。
その時に死を選んでしまう。

死を選ぶのは、自分が自分であるためではなかろうか?
追い詰められて、自分を失うようになって、それでも行きたいと思うのだが、環境がそれを許さない。
行き場がなくなってしまった。
その時に自分を守るために見出す結論が自殺ではないだろうか?

残されたものがよく「何故気づくことが出来なかったのか」と嘆く言葉を聞く。
だが、それは無理なことなのだ。
人は当事者でない限り、その心の中を窺い知ることは出来ない。
当事者が相談できればよいのだが、それも難しい。
何故ならそれが出来ないほど冷静である余裕が無いからだ。
そのために、そのサインすら本人も周囲の者も見落としてしまうのだ。

自殺は罪である。
そう考える人がいる。
わたしは、それは間違いだと思う。
生きられなくなるほど追い詰められた人にそういうことを押し付けてしまうのは過酷すぎはしないだろうか?

サインに聞い付くことが出来るほど冷静であれば、人は自殺などはしない。
自殺をしてしまうのは、生きられなくなるほどに追い詰めてしまう現実があるからだ。
その現実も人が作り出すものなのだ。
罪はそこにこそあるのではないだろうか?
 自殺を罪だという人は、真実を見出す力が欠けているのではないか。
サインを見出すことの出来ない人は、人の痛みがわからないからではないだろうか?
そんなふうに考えたりもしてしまう。

生きていくことは難しい。
それは誰にでもいえることだ。
自殺をしてしまう人は脱落者だということも出来るのかもしれない。
けれども私はそう思いたくはない。
ただでさえ生きにくい世の中だ。
生き抜くためには、死に至ってしまった人達の声を聞く必要はないだろうか?

サインを見出すことは難しい。
そして、そのサインさえ見出すのは自分でしかなく、それを訴えるのも自分しかいない。
それは追い詰められて、心に深い傷を負った人には酷な話ではないだろうか?

世の中は隙あれば人から大切なモノを奪い去ろうとする。
そして奪われてしまうと、人は生きる気力をなくしてしまうのではないだろうか?
奪われたモノ、それは人によって違うのかもしれない。
けれども人間としてのアイデンティティが失われた時、人は死を選んでしまうのかもしれない。
人を死から救う方法はまだ見つけることは出来ないのかもしれない。
けれども、サインを見出す力こそがそれを防ぐことが出来る唯一の方法なのだろう。
それが当たり前のように出来る人が増えてくれるのを願ってやまない。。

2014年3月31日月曜日

虐め

私には幼い頃から思春期に良い記憶は殆ど無い。
 育っていく過程で虐めを受けた経験があったからだ。
それも1年というような短い時間ではない。
10年は続いていただろう。

それは身内からのものだった。
私には従兄弟が、母には親類たちが虐めを行っていた。
当時の私はその理由がわからず、いわれのないことで虐められたという記憶しかない。

私には当時、父親がいなかった。
私が2歳の時に亡くなったのだそうだ。
その時に父方の祖母が母に対して酷い仕打ちをしたので母方の祖母が実家に連れて帰ったらしい。
しかし、そこは安住の地ではなく、母は早い内に再婚してしまったらしい。
けれども、その時の相手は酷い人だったらしく、母は持病を悪化させて入院してしまった。

私は母の実家に預けられたのだが、そこで従兄弟からの虐めの毎日が始まった。
だからなのか、私はなかなか実家の者達に懷かなかったようだ。
それが更に虐めを助長させた。

小学校2年の時に母が退院してきたのだが、行く宛のない私達はそのまま実家に住むしかなかった。

そうして虐めは16の時に母が亡くなるまで、続いていた。
その過程で私は引きこもりになり、高校を3ヶ月位で退学した。

この時までの虐めが私の中に抑えられないほどの憎しみを生じさせた。
いつの頃からか、「人は皆敵と思えばいい」という考えが私の中に芽生えてしまった。
その憎しみが私の発病の背景にある。

私の怒りが爆発したきっかけは叔父が欠陥住宅を掴ませたことだった。
家を建てる時に仕事を自分に出さないと道を通さないと言い出し、やむなくそうしたのだが、その結果が欠陥住宅だった。
それでも暫くの間は怒りを抑えていたのだが、堪えきれなくなり、家で暴れるようになってしまった。

その頃は私の病状が何から来るのかがつかめず、治療は上手く進まなかった。
結局、私は家族と別れて暮らすことになった。

私の憎しみは死んでいった者達にも向けられた。
死んでいった父親、母が実家に戻らなければならないように追い詰めた父方の祖母、それらに私の憎しみは向けられた。
何故なら、彼らが死ななければ、母を追い詰めさえしなければ、私の悲惨な人生はなかったからだ。
死んでいってしまった者達に向けられた憎しみは復讐さえ出来ない。
その現実が私を追い詰めていったのだ。
 結局その矛先は墓や位牌に向けられ私は異様な行動にも出てしまった。

今にして思えば、私は思春期に既に発病していたのだろう。
当時は心の病に理解がなく、心療内科や精神科に通うということは忌むべきものとされ、また、私の行動がメンタル面の問題であると誰も思わず、私は放置された状態になってしまったのだ。

思春期の私は何度も自殺未遂をした。
リストカットという道は選ばず、オーバードースを繰り返した。
その時に治療を始めていれば、私の心が破綻することはなかったのかもしれない。

虐める者達は、それが人の一生を破綻させてしまうことなど考えていない。
それがどれほど許されない行為であるかを意識していない。
私はそれを許すことが出来ない。
虐めをする者達は死刑に値するとさえ思っている。

現代は大した理由もなく人を傷つける時代だ。
それがどこからくるものかは、私にも解らない。
けれども、傷つけられた者の心の中に受けた傷はとても深く、長い時間をかけなければ癒やされないものであることを人々は知るべきだと思う。
長い時間とは、私のように人生の大半を使ってしまうほどという意味だ。

インターネットが普及した現在、精神的な虐めはいとも簡単にできてしまう。
それがどれほど罪深いもんであるかを彼らには身を持って知らしめる必要があると私は思っている。
虐めが原因で自殺してしまった人が遺書の中で追い詰めた者たちを名指しした場合は、その者達には刑事罰のような罪の償わせ方をすべきである。
そして世の中から「虐め」という言葉をなくすべきだと私は思っている。
その言葉は、その行為を行っている者達の甘えにすぎないからだ。
虐めは紛れも無く刑事罰に値する事件なのだ。

心を傷つけられた人達の声は未だに聞き入れられてはいない。
そして、傷ついた心を癒していく方法は、自分自身の中にしかない。
 それでいいのだろうか?
彼らにこそ、その声を聞き、寄り添うべきではないのだろうか?
私はそう考える。

おそらく、こうした私の考えは、過激すぎ、行き過ぎているのだろう。。
けれども、そうしなければ救われない人たちが間違いなく存在しているのだ。

虐めを無くすためにまずしなければならないのは、虐めという言葉を世の中からなくすことだと私は思う。
そして、その行為を行う者に重い刑事罰を与えることだと思う。
何故ならその行為は、人の一生を破綻させてしまうからだ。
そう思う私は過激すぎるのだろうか?

2014年3月30日日曜日

頭痛

私は頭痛持ちでもある。
朝起きた時、時々頭痛がして気分が沈み込む。
どんなコンディションの時にそれが起こるかはわからないが, あまり気持ちのよいものではない。
だからロキソニンが手放せない。

症状的には何かで軽く押さえられているような感じで脈を打つ。
ぼんやりとして眠気がする。
寝不足気味な傾向がある。
別に夜更かしをしているという感じはなく、いつもと同じように床についている。

そういう時は気分も割と沈んでいる時が多い。
まぁ、体調が良くないのだからそうなっても当たり前なのだ。
それが解っていてもやはり良い気持ちではない。

そんな時は再発するのではないかという不安が頭をもたげてくる。
勿論、根拠があるわけではない。
以前のように頻繁に起きているわけでもないし、体調は良くなってきているのだ。

これが比較的平日に起こらなくなっているのは良いことだと思っている。
休日ならば、治まる今で横になることが出来るからだ。
これが平日だとそうはいかない。

比較的眠い時に起こるということは、疲れているともいえるような気がする。
私の仕事は体を使うわけではないので、肉体的な疲れはないはずだ。
そうなると、疲れは精神的な面から来ている、ということになる。

けれども、私の職場は会話がとても少なく、他の部門との接点も少ない。
上司からの指示も多いわけではない。
もっぱら自分のスキルを高めるというのが仕事だといえる。

では、どこにストレスを受ける要因があるのだろうか?
それは多分、人の中に晒されているからだろう。
私は元来人嫌いなのだ。
そして「躁うつ病」という病気も持っているので、人と関わらないほうがいいと思っている。
そういう理由から、きっと人前にさらされると無意識のうちに気を使っているのだろう。
だから休日はぐったりとしている。

そういうストレスからなのだろうか、休日になると頭痛がするというのが比較的多いのは。。


だからといって、特別塞ぎこんでしまうほど憂鬱にはならない。
休日は休むことが第一。
その方法が私の場合は寝ることだと考えている。
頭痛がした時はロキソニンを飲んで横になるようにしている。
それでまた平日を落ち込むことなく迎えることができているのだ。

疲れがたまり、頭痛までしてしまうのは、まだ回復しきれていないのかもしれない。
時間が経てば、少しは変わってくれるのかもしれない。。

2014年3月29日土曜日

春の訪れ

ぽかぽかと暖かくなってきたので、近くにある「ふるさと村」に行ってきた。
スクーターで20~30分程度走って着くようなところ。
家族連れや老夫婦などが散歩を楽しんでいました。

私は時々この場所に来る。
ここは私の育った場所であり、以前家族と暮らしていた場所でもある。
あまりよい思い出はないのだが、何故か懐かしい気分になるのだ。

最近、以前よりも気楽に行けるようになったのは、何よりも憎しみの対象だった人物が殆ど死んでいったからなのかもしれない。
一時期はそんな現実を許せなくて苦しんだものだが、今はなんとも思っていない。
むしろ当然の報いを受けたとさえ思っている。

私も年をとったが、私や私の母をバッシングした奴らも年を取り、死んでいくようになった。
だから心の傷を気に留める必要もないはずなのだが、やはり受けた痛手は大きく、それだけでは気持ちは収まるどころか、かえって憎しみが増していた時期があった。
いわゆる「やり逃げ」と感じていたからだ。
あれだけのことをしていながら、何の償いもせずに死んでいくことが許せなかったのだ。
今では許している、などということはないのだが。。

何故許せないのか?
その理由は簡単だ。
バッシングのお陰で心に傷を負い、それがやがて発病に繋がってしまったからだ。
そのために、私の人生の多くは苦しみの時間に費やされてしまった。
これをどう償ってくれるのだ。
そういうものが私の心の奥底に怒りとなって積もってしまったからだ。

その怒りは今でも収まってはおらず、心の奥底に沈んだ状態になっている。
しかし、そのために私は一生薬を飲も続けなければならない状態になっている。
人と深く関わりあえなくなっている。
それは幸せとはいえないのだろう。。

それでは、今、私は苦しいのだろうか?
それが苦しくはないのだ。
薬のせいだと行ってしまえば、それまでなのだが、それだけでもないような気がしている。
今でも狩りが心の中にあるのは感じることが出来る。
けれども、私の意思に逆らってそれが出てくることはない。
言葉遣いも柔らかくなってきている。
私の周囲に穏やかな空気があることを実感している。

私はきっと変わったのだろう。
自分では実感はないのだが、とても穏やかな人間になったような気がする。
身を焦がすように強い怒りはなくなり、制御できる程度の弱い炎のようになっている。
まるで花が咲き始めた季節の空気のように、である。

この柔らかく暖かい季節、私はそれを大事にしたいと思う。。






2014年3月28日金曜日

心のリハビリ

私達心に痛手を負った人はどうしても社会から離れてしまうことが多いと思う。
それは心に痛手を負った人は他の人達とは違う状態に置かれてしまうことが往々にしてあるということにほかならない。
そして、それが回復段階に来ると社会への復帰という問題に直面する。
実はここに落とし穴があると私は思っている。

社会に戻ろうとするとき、1日も早くその状態になりたと焦ってしまう。
また、周囲からも強くそれを求められてしまう。
その通りにしてしまうと破綻してしまうと私は思うのだ。

以前、自殺未遂をして約1年ほど休職をしていた時期が私にはある。
しかし、この時の休職は、もっぱら怪我の回復のために使われ、メンタル面のフォローは全くしてなかった。
そのために私の心の病は治ることもなく、それは置き去りにされてしまった。
そして今回の休職に至ってしまったのだ。

今回の休職はメンタル面でのものであるため、きちんとしたフォローをしようと思った。
まず、全く動けなかったところから、少しずつ外にでるようにしていった。
そして体力づくりのために少しずつ外にいる時間を長くしていった。
この間、約1年ほどの時間を必要とした。
それから復職プログラムに7ヶ月ほど参加して復職に至った。
今のところメンタル面は安定している。

この間の私を他の人が見ると、きっとサボっているように見えただろう。
けれども、これは私にとっての訓練であり、リハビリテーションなのだ。
体の面でのリハビリテーションでも、いきなり元の状態へと復帰させるようなことはしない。
徐々に機能を失ったところを動かし、少しずつ回復していくようにしていくのだ。

けれども、他の人にはこの「リハビリテーション」という過程は理解できないだろう。
それは、外見上何の問題もないように見えるからだ。
そのために、焦りというものを感じてしまうのかもしれない。
けれども、この焦りが心に痛手を負った人には良くなのだ。

メンタル面は急激に治っていくものではないと私は思っている。
内にこもっている状態から徐々に外に向かっていかないと破綻をきたしてしまい、また元に戻ってしまう。
そういうことを何度も繰り返していると、結局その闇から抜け出すことは出来ない。

メンタル面のフォローというものはそういうことをクリアしていくものではないか?
私はそう思う。
始めは近所へ外出するといった程度ていいだろう。
その次に図書館などを利用する。
そして最後にデイケアやフリースクール、復職プログラムなどに参加して人と接することに慣れていく。
そんな過程が必要なのだと思う。

社会に復帰するとどうしてもストレスに曝されることになる。
心に痛手を追うということは、既に大きなストレスに晒された結果であって、それをリセットしない限り社会に復帰することは難しいと思う。
だから十分な時間としっかりとした手順に従って社会という外の世界に向かって行くことが大事なのだと思う。

しかし、周囲がどのように焦らせる言葉を言っても、根気よく納得させるしかないのがないのが現実なのだ。
力のないものが、力のないままに周囲の力のあるものを説得していかなければならない。
そんな現実は悲しいものだと私は思う。

けれども、それをしなければ私達に「明日」はない。
救いの手はただ待っていても訪れてはくれない。
這ってでも自分から近づいていかないとならないのが悲しい現実なのだ。

だから体のリハビリのように、失った力を取り戻す過程がとても重要なのだと思う。
心のリハビリが理解され、心の病や痛手というものが理解されていくことを私は常に思っている。

この頃は温かい日が続いている。
部屋の暖房もつけなくなって数日が過ぎている。
コートを脱いでも肩を怒らせることはない。

日差しも柔らかくなってきた。
街の木々にも花が咲いている。
過ごしやすい穏やかな毎日が続いている。

春は別れの季節でもあり、また出会いの季節でもある。
卒業というゴールと入学、就職というスタートだ。
それは春が来る度に繰り返される。
終わりのない繰り返しだ。

私にもスタートとゴールはやってきた。
時期は11月と寒い季節ではあったが、ひとつのゴールとスタートを経験した。
これまで私を苦しめてきた記憶と鬱状態との別れと職場への復帰と新しい出会いというスタートだ。
そして今、季節の上での春を迎えている。
今の私の心はとても穏やかになってきている。

そもそもこのBlogは、同じように苦しんでいる人に何かのヒントになればという思いで書いてきた。
誰に読まれることも期待をせずにただ思うことを書きなぐってきた。
心のことを中心にしてきたので、最近はネタが尽きてきたのだが、細々と続けていきたいと思う。

私には「希望」というものや「夢」というものはない。
どちらも人が生きていく上で大事なものであるが、それがなくても生きていくことは出来る。
苦しみの中では、それを抱くことは出来ない。
ただ救われたいと願うばかりの毎日を過ごす。

実際、救いは天から舞い降りてくるものではない。
自分自身の心が、考え方がそれを生み出すものだ。
底に至るまでは多くのきっかけと長い時間が必要になる。
悲しみに涙する時間が永遠と思われるほどに続いてしまう。
 抜け出す道を見出すことが出来ない。

それでも、生きているだけでそれを手にすることは出来る。
人を導いてくれるのは、人と関わっていく「縁」なのだと私は思う。
その縁と巡りあうために、ただひたすらに生きる。
それだけでいいと思っている。

苦しい中で過ごす毎日が冬であるとすれば、縁と巡り会えることが春の始まりだと思う。
季節は必ず巡っていくもの。
だから冬は必ず終わるのだ。

そのことを忘れないように私は生きたいと思う。
だから夢や希望がなくても生きられるのだ。
まだ手に入っていない縁もきっと手に入れることができる、そう信じたいと思う。
春はもう私の心に訪れているからだ。

2014年3月7日金曜日

朝の出来事

最近、このBlogを更新することが少なくなってきた。
心の事を中心にしてきたからだろう。
書くネタが尽きてきた。
そんな感じだ。

そんな中で今朝方少し落ちた感じがした。
出勤するのが面倒に感じたからだ。
再発かとも思ったのだが、そんな感じでもなさそうだった。

何故、そう感じたのか、それは仕事の上でもネタが無くなって来たからだ。
私の仕事は割りと自分でテーマを探すことが多い。
だからサボっていてもどうこういわれることはない。
実際にそうしている人もいる。
私にはそれが出来ないのだ。

別に真面目なわけではない。
ただ、誰かに注意されるのが怖いだけだ。
臆病なだけなのだ。
だからサボることが出来ない。

けれども、それは出社してしまえばなんとかなるのだ。
それなりに仕事は探せるものなのだ。
けれども、出社前にその事が私を憂鬱にさせるのだ。

そんなことを解消するために出社後の空いた時間にテレビのニュースを観ることにしている。
そうする事で楽しみを持ち、仕事への気持ちの切り替えをしているのだ。
今のところそれは効果を示している。

朝、憂鬱になるのは誰にもあるのだろう。
だから心配する必要はないだろう。
少し過敏になっているのかもしれない。
今のところは順調なのだ。

余り気にせずに日常をこなしていこう。
そう思った今日この頃だった。。

2014年3月3日月曜日

目覚め

今朝は4時前に目覚めてしまった。
昨夜寝たのは0時30分過ぎ、十分に寝たとはいえない。
それなのに微妙な時間に目が覚めてしまった。

起きたとはいえ、欠伸は出る。
横になれば眠ることは出来るだろう。
けれども、この時間では寝坊しかねないのだ。
だから思い切って起きてしまった。

そうだとはいえ、鬱的な気分はおこっていない。
ごく普通に起きられた。
簡単な食事を済ませて、今はコーヒータイムだ。
時間はあるのでゆったりとしている。

起きたきっかけは、今朝方見た奇妙な夢だ。
内容はよく覚えていない。
夢を見るということは眠りが浅いのだとある人から聞いた。
確かにそれはいえるのかもしれない。

昨日はかなりの時間、眠って過ごしていた。
昼近くまで寝ていたのだ。
そのせいなのか、あまり眠たくはなかった。
比較的遅くまで起きていたのだが、こんな時間に目が覚めてしまった。

精神的には今朝は安定しているのだろう。
昨夜は少し落ち込んだのだが、今はそれはない。
鬱的な気分は眠ることで楽になる。
その効果が出ているのだろう。

今、目覚ましがなった。
いつも起きる時間だ。
また1週間が始まろうとしている。
充実とまではいかなくても、無難な1週間であることを祈りたい。

2014年2月25日火曜日

マスク

今はお昼休み。
会社のとあるフロアで保険屋さんがマスクを配っていた。
なので、用事もないのにそのフロアに行き、マスクを貰って来た。

季節柄花粉対策用のそれなのだろう。
早い所ではもう飛散しているらしい。
私は花粉症ではなのでその苦しさは分からないのだが、花粉症の人は大変な苦しさを味わうらしい。

心の病、鬱病や躁鬱病などはそれに似ているのかもしれない。
余程の重篤な状態でなければ外からは分からないからだ。
故に中々理解されない。
理解されないがために責められてしまうこともある。
悪循環の中に放り込まれるのだ。

薬も当然あるのだが、この病は病名が中々つかないこともある。
その為に治療も手探りになることもあるらしい。
たまに聞くのが中々治らないから医者を替える。
人間的に合わないから医者を替えるというものだ。

確かに医者と患者の間には信頼関係がとても重要だ。
それなくして良い治療は受けられないし、症状も改善しないだろう。
でも、コロコロと医者を替えるのはどうかと思う。

単純な人間関係でも信頼するのには時間を必要とする。
だから会ってすぐにそれを構築するのは難しい筈だ。
それなのにこの関係では苦しさ故にすぐに信頼関係を持とうとする。
それが出来なければ医者を替える。
これでは堂々巡りだ。

それでも、どうしても信頼が置けない場合、医者を替える必要もある。
中には良くない医者も居るだろうからだ。
ただ、そうなるとその見極めが難しい。

コロコロと医者を変えるとその度に治療がリセットされてしまう。
それは好ましくはない。
だが、医者選びまでを苦しい中でしないといけない環境は如何なものかと思う。

出来うるならばこういった病気も予防が出来るといい。
風邪や花粉症などの時にマスクをするように対処できる方法がもっと一般に広がると良いと思う。

そんな時もいつかは来るのだろう。
その日が来てくれるのを私は待とうと思う。

2014年2月22日土曜日

今日もまた通院日です。
例よってスクーターで寒い中を渋谷まで。
約1時間の道のり、楽しんで走ってきました。

渋谷までは国道246号線を使うのですが、これが意外とコンディションは良くない。
それもどちらかというと都内に入ってから。
道の凹凸で時折ヒヤッとします。

こういうのって2輪車に乗っているとよく分かる。
タイヤがとられてバランスを崩すからだ。
そういう時、体制を立て直すのだが、寒いとそれもぎこちなくなる。
そう、身体が縮こまっているからだ。

私が冬を嫌いなのはこういうところにもある。
縮こまって力が入るのが嫌なのだ。
暖かいとこういうことはない。

構えているよりも自然体がいい。
余計なことに力は使いたくない。
そういうことで使っているとストレスになるからだ。
ストレスは出来るだけ回避したいのだ。

もう少しで薬をもらって帰途に着く。
無理せず流れにのって帰ろうと思う。

2014年2月21日金曜日

残雪

先週、先々週と降った雪は首都圏に多きな影響を与えて去っていった。
今週も降るかもしれないという予報は幸いにも外れてくれた。
街は平常に戻っている。
雪も大分溶けて消えていった。

それでも未だ頑固に残っている雪がある。
大体は陽の当たりにくい影のところの雪だ。
この雪は凍っていてなかなか溶けないだろうと気象予報士が言っていた。

記憶にもそういうことがある様に思う。
強く嫌な記憶ほど消えにくい。
それは私にもある。

幼少期から私は母親と共に親類から虐められた。
それは差別にも近いものだった。
母は私が高校の時に亡くなったが、それも原因のひとつではないかと思う。

私にとってみればそれはいわれのない行為だった。
そして当時の私の立場はとても弱いものだった。
だから、そういった怒りは抑えられ、やがて憎悪となり、そして殺意に変わっていった。

その頃の記憶は幸いにも多くが消えていった。
それは心が壊れないようにするための防御のひとつなのだろう。
しかし、憎悪と殺意は消えずに残った。
それが私の心を壊してしまった。

10年以上の治療によってその憎悪もだいぶ収まってきた。
しかし全ての記憶が消えたわけではない。
残った憎悪は私を壊すほど強くはないが、間違いなく残っている。
それはまるで日陰に残る残雪にも似ている。
しかし、それを短時間で溶かす術は今のところない。

結局、それには時間が必要なのだろう。
人生の大半を支配してきた感情から逃れかけているのだが、残された時間は、それまでの時間と比べて余り長くはない。
やはりそこには不条理を感じてしまう。
それは記憶を心の中に残してしまう。
堂々巡りなのだ。

記憶を消すことが出来るのならどんなに良いだろう。
若く苦しみの中にいた頃は切に願っていた。
だが、それは叶わなかった。
今、消せない記憶の中で私の記憶は小さくなってきている。
そしてまた、憎悪さえも意識しないで済む様になって来た。

頑固な残雪もいつかは融けるのだろう。
私の記憶と憎悪もそうである事を祈りたい。が

2014年2月20日木曜日

昼休み

今、12時32分。
押昼休みの時間だ。
周りを見回してみるとお昼寝をしている人、パソコンを操作している人等様々な過ごし方をしている。
私もいつもなら昼寝をしているのだが、今日はなんだかその気分ではないので、こうしてBlogなぞを書いている。

大体10分前後の昼寝は良いらしい。
頭も冴え、リフレッシュできるからだそうだ。
確かに昼休みの昼寝は気持ちが良い。

昼休みにパソコンを操作している人は何をしているのだろう?
我が社のパソコンにはWindows付属のゲームすら入っていない。
覗き込んでみるとネットサーフィンをやっていたり、お仕事をやっていたりしているようだ。
お仕事をやっている人は私はあまり好まない。

本来、仕事というものは就業時間内に終らせるものだと思う。
それを越えてやらなければならないのは、どこか作業効率が悪いからではないだろうか?
作業がどのくらいで終るのかを見極めるのが仕事であり、やらなければならない事をするのは作業だと私は考えている。
だから仕事をしている時間は私には少ない。
そして残業も余りしない。
作業効率さえ良ければ余り残業というものは必要ないと考えている。
それに私は仕事が嫌いなのだ。
束縛される時間が嫌いなのだ。

作業効率を良くする。
今日やらなければならない事をあらかじめイメージしておく。
今日終らなくていいことは今日やらない。
この3本柱があれば残業はかなりしなくて良いと思う

ゆとり

私はこのところ会社に行く前にコーヒーを飲みタバコを一服吸っている。
かれこれ2週間になるのだが、これからも続けていくつもりだ。
朝の忙しい中でも、だ。

また、私は会社に着くのが早い。
8時40分始業のところ7時30分には自分のデスクのところにいる。
缶コーヒーを飲みながらテレビを見たりBlogを更新したりしている。
これは復帰してから一度もぶれていない。

当然、部屋を出る時間も早い。
そんなに早く出る必要はないと人は言うが、私はこのスタイルを変えるつもりはない。
勿論、これには理由がある。

元々私は混んだ電車が嫌いなのだ。
出来れば座って行きたいと常に思っている。
全ての路線で座っていくことは無理なんだが、この時間に出ると一番長く乗っている路線で座れるのだ。
だから部屋を早く出るのだ。

不思議と慣れてしまうとこういう生活は苦痛ではなくなる。
ましてや会社についてからの約1時間の時間は楽しみの一つにさえなっている。
この「楽しみ」という時間は大事である。

以前も私は部屋を出える時間が早かったのだが、会社についてからはただぼんやりとしていた。
常に鬱っぽい状態だったので、何かをしようという気にはならなかったのだ。
それが、ただぼんやりするのはもったいないと感じるようになってきた。
常に鬱という状態から脱したのだろう。

忙しい朝であるからこそ、心のゆとりというものを忘れないようにしたい。
ぎりぎりの状態ではすぐに心は弾けてしまう。
それだけは避けなければならないことだ。

単調な日常の中でほんの少しの余裕が今の私を支えてくれている。
このリズムは崩さないようにしていきたい。


2014年2月18日火曜日

怒り

私の中には怒りという抑えがたい衝動がある。
今は抑えられているが、それは胸の奥に相変わらず存在している。

その衝動は何処にあるのか、私はそれを知っている。
それはいわれのないことで攻撃を受けたことが発端である。
向こうにとってはそれがどんなことかは解っていない。
その事が余計に怒りを生む。

親同士の関係に何があったのかは知らない。
けれども、それの影響を私は受け続けた。
よく「子供には罪はない」というが、そんなことはない。
攻撃の対象さえあれば喜んでそれを追い詰める。
島国の人間の醜いところだ。

これは差別の背景でもあるのだろう。
彼らにも罪はない。
ただそこに生まれただけなのだ。
攻撃を受けるいわれはない。
自分の楽しみのために人を攻撃する。
それが島国の人間の特徴だ。

怒りや憎悪という感情は抑えるのがとても難しい。
それも防御の本能のひとつなのかもしれない。
また攻撃本能の現れでもあるのだろう。
だから平和に過ごすためには抑えな毛れなならない感情なのだろう。
私はそれをするために社交性という性質を捨てた。
人と接しなければ怒りを生むことはないからである。

それでもこの10年近くはそれでも抑えられなくなってしまった。
限界に達していたからなのだろう。
今はそれを薬で抑えられている。
でも、本当にそれだけなのだろうか?

人は私の事を変わったという。
死んだような目に精気が出てきたと云うのだ。
でも、自分にはそれは解らない。
ただ、前よりは楽になったという感覚があるだけだ。

そのきっかけは開き直ったところにあると思う。
それまでは、自分の運命を呪っていた。
けれども、呪ってみても現実は変わらないのだ。
ならばその時間は無意味だと云うことになる。
無意味なことをしても時間がもったいないだけである。
誰しも永遠の命を持っているわけではない。
限られた時間しかないのである。

今でも怒りや憎悪と云う感情はある。
でも、それが表層に出てくることはない。
そんな今を大事にしたいと思う。。

2014年2月17日月曜日

早朝覚醒?

今朝は3時に目を覚ましてしまった。
うだうだやっていたら4時になってしまったので、起きてしまった。
少し眠たいが気分は悪くない。

リワークに通い始めた頃、早朝覚醒をしてしまったと言う人が数人いた。
中には1年以上通っている人もいた。
そういう意味では今朝のことはそれに当たるのかもしれない。
けれども私はそう思わずに無理に寝ようともしない。
少し早く起きてしまったと解釈するのだ。

確かに鬱病の症状のひとつに早朝覚醒というものはある。
それに苦しんでいる人もいる。
けれども、考え方を変えることでそれを回避することは出来るのではないかと思う。

早く起きてしまったとき、本来の起きる時間に眠気を伴わずに起きたい。
そんな思いがあって再び眠ろうとするのだろう。
そうして昼間、眠らない様にしようとするのだろう。
けれども、得てしてそんなときは眠れないものだ。

そんな時は無理に眠ろうとはせずに起きてしまえば良いと何かで読んだ。
そうすると眠れるようになるのだそうだ。
ましてやリワークとは仕事に復帰するための調整期間だ。
夜中に起きてしまっても良いのだと私は思っていた。
ただしそれを早朝覚醒とは意識しないようにしていた。
目が覚めても仕方のないこと。
それが本来起きる1時間程度早く、眠れそうもないときは起きてしまったのだ。
だから私には早朝覚醒という言葉はない。

世の中には鬱病になりたがる人もいるらしい。
休みたいから診断書を書いてくれという人がいるようだ。
それは違うと私は思う。
リワークの中で早朝覚醒を訴えていた人の中に、昼間眠ってしまうというのが症状だと言う人がいた。
それは鬱病なのだろうかと私は思った。
昼夜逆転してしまう別の要因ではないだろうか?

その人は昼夜逆転してしまっているのを改善しようとはしていない様に私には見えた。
どこかに甘えはなかっただろうか?
私自信にも病気に負けてしまったという甘えがあったのではないかと思うことがある。
それでも、仕事に復帰したときの生活リズムを取り戻すために工夫はしてきた。
それが病気と向き合うということではないだろうか?

欝の状態は甘えと見分けが尽きにくい場合がある。
それが理解されにくいことの要因のひとつだと思っている。
甘えている人間が鬱病を語るのは正直言って迷惑だ。
本来苦しんでいるものさえも甘えという枠でくくられかねない。
まぁ、そんな人は多くはないと思うが。。

このところ、耳が聞こえなく障害者2級の手帳をもつ作曲家が実はゴーストライターを使っていたという話題が耳に入る。
正直、腹を立てている。
こういう人間がいるから私たちは市民権を持てないでいるのだ。

私たち心の病を持つ者は2つの敵と闘っていると云えるのかもしれない。
病気と云う敵と理解しない世間と云う敵とである。
いずれの敵も手強い。
だが、闘うしかない。
その先にしかゴールはないのだから。。

2014年2月16日日曜日

滑る道

今日はほんの少しだが出かけた。
スクーターのガソリンが残り少なかったので入れに行ったのだ。
ついでに近くのスーパーで買い物をして帰ってきた。

大したスピードは出さなかったけれども、結構怖かった。
この間降った雪がまだ路面に少し残ってシャーベット状になっていたり、道が濡れて滑りやすかったからだ。
陽に当たったところは乾いていたのだが、日陰の部分はまだそんな感じなのだ。
だからなるべく危なくなさそうな部分を選んで走っていた。

勇気がないと言われればそれまでだが、もう若い頃のようには行かない自分がいる。
別に家族と一緒に暮らしているわけではない。
責任があるわけでもない。
要するに怖いのだ。

その原因には昨年の9月に起こった交通事故があるのだろう。
その時は肋と鎖骨を骨折した。
結構な大怪我だ。
その傷はまだ治っていない。

記憶とは恐ろしいものだ。
意識をしていなくても身体が覚えていることもあるのだ。
多分、危険なことから遠ざけるための本能なのだろう。

鬱状態というのもそんなものがあるのかもしれない。
魚を天敵と一緒に水槽で飼うと鬱状態を引き起こすということを以前テレビで見た。
それは防衛本能が引き起こすと言っていた。
辛い現実から逃れるために引き起こされる現象なのかもしれない。

 人は時にそんな状態の者を非難することがある。
それには色々な事情もあるのだろう。
でも、私はそんな現実を悲しく思う。
病気の人間には罪はないからだ。

いくら理解が進んだとはいえ、まだ鬱や躁うつに対する他人の評価は良くない。
以前も言ったが、「気違い」という人間もいる。
否定はしたいのだが、それもまた現実である。

どんなに苦しさを叫んでも、それは人には届かない。
それがまた新たな苦しみを生む。
堂々巡りだ。

だから変わらなければならないのは、苦しみを抱えている人間になる。
人は簡単にそんなことをいう。

でも、それは簡単なことではない。
そのことを人は知らない。
それは悲しいことだと思う。
でも、そうするしかないのも現実である。。

苦しみの状態とそうでない状態は紙一重である。
だからいつ、こちら側に落ちてくるかは解らないのだ。
それに気づけば、人は変われるのかもしれない。
そうなれば苦しさから抜け出すこともずっと楽になるのかもしれない。
そんな日が早く来ることを私は願ってやまない。。

2014年2月14日金曜日

雪ふたたび

今朝はエアコンの効きが悪かった。
どことなく肌寒いのだ。
昨夜の天気予報は雪が降ると言っていたが、案の定その通りになった。

まだ降り始めなのだろうか、道路には雪は積もっていない。
それでも少し風があるので雪は横の方から降ってくる感じだ
私の通勤時に乗る電車は遅れてはいなかったが、現在送れた電車が出始めている。

テレビのニュースも雪の事を言っている。
雪に弱い都会なのでこういう時は大騒ぎだ。

子供の頃は雪は好きだった。
雪遊びが出来たからだ。
でも今は嫌いだ。
足元が滑って転びかねないからだ。
それにエアコンが効かない。
憂鬱なことばかりだ。

それでも、いつものように起き、いつものようにコーヒーで一服して部屋を出る。
いつものように重装備で出掛けたが、底冷えがするのだろうか、それでも寒さを感じた。
重装備でなければ、肌を刺すような寒さなのだろう。
この気温は今日1日続くらしい。
視界も雪のせいで狭い。

それでも会社の中は暖かい。
装備を解いても寒さを感じることはない。
まぁ、そうでなければ仕事ははかどらない。

心が寒い、そんな表現を聞く。
希望の見えない状態を指す言葉なのかもしれない。
そして出口が見えない状態を指す言葉でもあるのかもしれない。
心の中の暖房は何処にあるのだろう?

孤独な状態では、それは無いのかもしれない。
でも、一人の場合には、それはあるのかもしれない。
同じ物理的な状況でも、独りと一人では全く違う。
一人には人との関わりが未だあるからだ。

心の暖房は案外そんなところにあるのかもしれない。
それほど深くない関わりでも、救われることがあるからだ。
独りには、それがない。

独りから一人に変わることで人は救われるかもしれない。
それがどんな関わり方でも良いと思う。
閉じ籠ってしまう事を私は否定しないのだが、やはりいつかはそんな壁を壊す必要があるのだろう。

この雪は明日には雨になるようだ。
冷たい雪もいつかは止む。
寒い冬もいつかは終わる。
独りの状態もいつかは終わる。
私はそう信じたい。

2014年2月13日木曜日

ネタが。。

ここまで心の事をメインにBlogを書いてきたが、ついにネタが尽きてきた。
やはりこのあたりが限界なのだろうか?

これまでは、自分の生育歴を元に書いて来たところがある。
私の苦しみも怒りも憎悪も全ての源はそこにあるからだ。
それらの感情は今も消えてはいないが、自分を支配してしまうほど強くはない。
長かった事象も終わりを告げようとしているのかもしれない。

そうなるとネタも尽きてくるのだ。
元々明確なテーマをもって始めたわけではない。

自分は難しく考え過ぎているのかもしれない。
心のことと狭い範囲でしか考えているからネタが尽きるのだろう。
これは自分の生活面にも現れているのかもしれない。

もっと気楽に考えよう。
そう思う。
肩肘を張っても良いことはない。
そうなれれば。もっと楽に暮らせるのだろう。

ネタを見つけるには観察力も必要なのだろう。
自分の周囲を見つめて、些細なことにも心を動かし、それを記憶する。
その能力は必要だと思う。
私にはそれが欠けている。
それを身に付けたいと思う。
何にでも興味を持つこと。
それは大事なことだ。

それは仕事の面にも云えるのかもしれない。
私の仕事は上からの指示などを受けてするものではないし、他部署が絡む訳でもない。
自主性が必要なものなのだ。
だから小さなことにでも気付きが必要なのだと思う。

私の場合、アウトドア派ではないので、毎日は単調なものだ。
そんな中で気づきなどと云う物が果たしてあるのだろうか??
それは疑問に思うものではない。行動して身に付けていくものなのだろう。
そう思う。

それは傷つき、苦しんでいるなかにも必要なのだろう。
苦しい中では、悪い事しか目に入らない。
けれども、そんな中にも小さないいことはあるのだと思うし、そう思いたい。
小さな良いことでも積み重ねていけばいくらかは楽になれるのかもしれない。
私もそれを身に付けたいと思う。

明日からのネタをこの時点から見つけるようにしよう。
それが感性を磨くことにも繋がるかも知れないから。。