この頃は温かい日が続いている。
部屋の暖房もつけなくなって数日が過ぎている。
コートを脱いでも肩を怒らせることはない。
日差しも柔らかくなってきた。
街の木々にも花が咲いている。
過ごしやすい穏やかな毎日が続いている。
春は別れの季節でもあり、また出会いの季節でもある。
卒業というゴールと入学、就職というスタートだ。
それは春が来る度に繰り返される。
終わりのない繰り返しだ。
私にもスタートとゴールはやってきた。
時期は11月と寒い季節ではあったが、ひとつのゴールとスタートを経験した。
これまで私を苦しめてきた記憶と鬱状態との別れと職場への復帰と新しい出会いというスタートだ。
そして今、季節の上での春を迎えている。
今の私の心はとても穏やかになってきている。
そもそもこのBlogは、同じように苦しんでいる人に何かのヒントになればという思いで書いてきた。
誰に読まれることも期待をせずにただ思うことを書きなぐってきた。
心のことを中心にしてきたので、最近はネタが尽きてきたのだが、細々と続けていきたいと思う。
私には「希望」というものや「夢」というものはない。
どちらも人が生きていく上で大事なものであるが、それがなくても生きていくことは出来る。
苦しみの中では、それを抱くことは出来ない。
ただ救われたいと願うばかりの毎日を過ごす。
実際、救いは天から舞い降りてくるものではない。
自分自身の心が、考え方がそれを生み出すものだ。
底に至るまでは多くのきっかけと長い時間が必要になる。
悲しみに涙する時間が永遠と思われるほどに続いてしまう。
抜け出す道を見出すことが出来ない。
それでも、生きているだけでそれを手にすることは出来る。
人を導いてくれるのは、人と関わっていく「縁」なのだと私は思う。
その縁と巡りあうために、ただひたすらに生きる。
それだけでいいと思っている。
苦しい中で過ごす毎日が冬であるとすれば、縁と巡り会えることが春の始まりだと思う。
季節は必ず巡っていくもの。
だから冬は必ず終わるのだ。
そのことを忘れないように私は生きたいと思う。
だから夢や希望がなくても生きられるのだ。
まだ手に入っていない縁もきっと手に入れることができる、そう信じたいと思う。
春はもう私の心に訪れているからだ。
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