私の中には怒りという抑えがたい衝動がある。
今は抑えられているが、それは胸の奥に相変わらず存在している。
その衝動は何処にあるのか、私はそれを知っている。
それはいわれのないことで攻撃を受けたことが発端である。
向こうにとってはそれがどんなことかは解っていない。
その事が余計に怒りを生む。
親同士の関係に何があったのかは知らない。
けれども、それの影響を私は受け続けた。
よく「子供には罪はない」というが、そんなことはない。
攻撃の対象さえあれば喜んでそれを追い詰める。
島国の人間の醜いところだ。
これは差別の背景でもあるのだろう。
彼らにも罪はない。
ただそこに生まれただけなのだ。
攻撃を受けるいわれはない。
自分の楽しみのために人を攻撃する。
それが島国の人間の特徴だ。
怒りや憎悪という感情は抑えるのがとても難しい。
それも防御の本能のひとつなのかもしれない。
また攻撃本能の現れでもあるのだろう。
だから平和に過ごすためには抑えな毛れなならない感情なのだろう。
私はそれをするために社交性という性質を捨てた。
人と接しなければ怒りを生むことはないからである。
それでもこの10年近くはそれでも抑えられなくなってしまった。
限界に達していたからなのだろう。
今はそれを薬で抑えられている。
でも、本当にそれだけなのだろうか?
人は私の事を変わったという。
死んだような目に精気が出てきたと云うのだ。
でも、自分にはそれは解らない。
ただ、前よりは楽になったという感覚があるだけだ。
そのきっかけは開き直ったところにあると思う。
それまでは、自分の運命を呪っていた。
けれども、呪ってみても現実は変わらないのだ。
ならばその時間は無意味だと云うことになる。
無意味なことをしても時間がもったいないだけである。
誰しも永遠の命を持っているわけではない。
限られた時間しかないのである。
今でも怒りや憎悪と云う感情はある。
でも、それが表層に出てくることはない。
そんな今を大事にしたいと思う。。
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