私には幼い頃から思春期に良い記憶は殆ど無い。
育っていく過程で虐めを受けた経験があったからだ。
それも1年というような短い時間ではない。
10年は続いていただろう。
それは身内からのものだった。
私には従兄弟が、母には親類たちが虐めを行っていた。
当時の私はその理由がわからず、いわれのないことで虐められたという記憶しかない。
私には当時、父親がいなかった。
私が2歳の時に亡くなったのだそうだ。
その時に父方の祖母が母に対して酷い仕打ちをしたので母方の祖母が実家に連れて帰ったらしい。
しかし、そこは安住の地ではなく、母は早い内に再婚してしまったらしい。
けれども、その時の相手は酷い人だったらしく、母は持病を悪化させて入院してしまった。
私は母の実家に預けられたのだが、そこで従兄弟からの虐めの毎日が始まった。
だからなのか、私はなかなか実家の者達に懷かなかったようだ。
それが更に虐めを助長させた。
小学校2年の時に母が退院してきたのだが、行く宛のない私達はそのまま実家に住むしかなかった。
そうして虐めは16の時に母が亡くなるまで、続いていた。
その過程で私は引きこもりになり、高校を3ヶ月位で退学した。
この時までの虐めが私の中に抑えられないほどの憎しみを生じさせた。
いつの頃からか、「人は皆敵と思えばいい」という考えが私の中に芽生えてしまった。
その憎しみが私の発病の背景にある。
私の怒りが爆発したきっかけは叔父が欠陥住宅を掴ませたことだった。
家を建てる時に仕事を自分に出さないと道を通さないと言い出し、やむなくそうしたのだが、その結果が欠陥住宅だった。
それでも暫くの間は怒りを抑えていたのだが、堪えきれなくなり、家で暴れるようになってしまった。
その頃は私の病状が何から来るのかがつかめず、治療は上手く進まなかった。
結局、私は家族と別れて暮らすことになった。
私の憎しみは死んでいった者達にも向けられた。
死んでいった父親、母が実家に戻らなければならないように追い詰めた父方の祖母、それらに私の憎しみは向けられた。
何故なら、彼らが死ななければ、母を追い詰めさえしなければ、私の悲惨な人生はなかったからだ。
死んでいってしまった者達に向けられた憎しみは復讐さえ出来ない。
その現実が私を追い詰めていったのだ。
結局その矛先は墓や位牌に向けられ私は異様な行動にも出てしまった。
今にして思えば、私は思春期に既に発病していたのだろう。
当時は心の病に理解がなく、心療内科や精神科に通うということは忌むべきものとされ、また、私の行動がメンタル面の問題であると誰も思わず、私は放置された状態になってしまったのだ。
思春期の私は何度も自殺未遂をした。
リストカットという道は選ばず、オーバードースを繰り返した。
その時に治療を始めていれば、私の心が破綻することはなかったのかもしれない。
虐める者達は、それが人の一生を破綻させてしまうことなど考えていない。
それがどれほど許されない行為であるかを意識していない。
私はそれを許すことが出来ない。
虐めをする者達は死刑に値するとさえ思っている。
現代は大した理由もなく人を傷つける時代だ。
それがどこからくるものかは、私にも解らない。
けれども、傷つけられた者の心の中に受けた傷はとても深く、長い時間をかけなければ癒やされないものであることを人々は知るべきだと思う。
長い時間とは、私のように人生の大半を使ってしまうほどという意味だ。
インターネットが普及した現在、精神的な虐めはいとも簡単にできてしまう。
それがどれほど罪深いもんであるかを彼らには身を持って知らしめる必要があると私は思っている。
虐めが原因で自殺してしまった人が遺書の中で追い詰めた者たちを名指しした場合は、その者達には刑事罰のような罪の償わせ方をすべきである。
そして世の中から「虐め」という言葉をなくすべきだと私は思っている。
その言葉は、その行為を行っている者達の甘えにすぎないからだ。
虐めは紛れも無く刑事罰に値する事件なのだ。
心を傷つけられた人達の声は未だに聞き入れられてはいない。
そして、傷ついた心を癒していく方法は、自分自身の中にしかない。
それでいいのだろうか?
彼らにこそ、その声を聞き、寄り添うべきではないのだろうか?
私はそう考える。
おそらく、こうした私の考えは、過激すぎ、行き過ぎているのだろう。。
けれども、そうしなければ救われない人たちが間違いなく存在しているのだ。
虐めを無くすためにまずしなければならないのは、虐めという言葉を世の中からなくすことだと私は思う。
そして、その行為を行う者に重い刑事罰を与えることだと思う。
何故ならその行為は、人の一生を破綻させてしまうからだ。
そう思う私は過激すぎるのだろうか?
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