2014年4月3日木曜日

理解者

今朝方、少し悲しい夢を見た。
私の病気が出てしまい、周囲を振り回してしまったのだ。
そして、周囲に理解されずに、心を傷つける言葉を受けてしまったのだ。

夢の中で私は自分の苦しさを必死に訴える。
私の話を聞いていた人は、始めは聞き入れなかったが、少しずつ理解を示し始める。
夢はそこで終わった。

理解されない苦しさ、悲しさは未だに心の中に残っているようだ。
目が覚めた時、ほんの少し悲しい気持ちがした。

何故、こんな夢を見てしまったのだろう?
目が覚めてそんなことを考えた。
夢は記憶を整理する行為だと昔何かで読んだような気がする。
するとこの夢は記憶を整理しているのだろうか?

しかし、嫌な記憶ほど消えてくれることはない。
この夢を見ても悲しい記憶は心の片隅に残っている。
では何のために見たのだろうか?

思うに、夢は記憶を消すのではなく、受け入れる作業なのかもしれない。
この夢を見たあと、受け入れられなかったことに対する感情が治まったような気がしている。

私はこれに似た夢を何度か見ている。
その度に理由を考えてきたが、答えは見つからなかった。
しかし、感情は次第に治まってきたような気がしている。
少しずつ感情の制御が出来てきているのかもしれない。

ならばこれは喜ぶべきものなのかもしれない。
行き場のない怒りが治まってくれるのならば、周囲の人を振り回してしまうこともなくなってくれるのではないだろうか?

この怒りがいつ治まってくれるのかはまだ解らない。
解らないなりに出口が見えてきたような気がする。
それは、果てしなく遠いものではなく、確実に近づいているもののような気がしている。
ならば、希望を持ってもいいのではなかろうか?
そんなことを考えたりもしている。

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