2014年4月6日日曜日

2時35分

現在、2時35分。
目が覚めてしまった。。
妙にすっきりしている。

12時過ぎに寝たのでまだ2時間程度しか寝ていない。
それでも熟睡したようにハッキリとしている。
部屋の電気を点けてコーヒーを入れる。
暫く起きてしまおうと思ったからだ。

私は夜中によく目を覚ます。
大抵は眠気が残っていて、すぐに夢の中に落ちるのだが、今夜は違うみたいだ。
こんな日は珍しい。
煙草に火をつける。

昨夜は底冷えがして暖房をつけてしまったが、今はさほどでもない。
外からは雨が降っているような音が聞こえてくる。
小腹が空いてくる。

こうしているうちに、ふと幼い頃のことを思い出した。
何故だかは定かではないのだが、夜中に目を覚ましてしまった事があり、今でもそれを覚えている。
その時はとても怖かった。
その時の私は大泣きをしてしていた。

その頃は夜がとても怖かった。
いわゆる「この世のものではないもの」を信じていたからだろう。
幼い頃ほどではないのだが、それは今でも続いている。
ラジオをつけっぱなしにしてしまうのは、その名残なのかもしれない。

以前は夜中に目を覚まさないとなんだか損をしてしまったように感じたものだ。
2度寝をしないと朝の憂鬱さが大きくなった。
それだけ出掛けるのが嫌だったのだろう。。
鬱の状態がそれだけ酷かったのかもしれない。。

夜が怖いのに、夜中に目を覚まさないと損をしたように感じる。
矛盾した考え方だ。
何故、そう感じたのだろうか?

私の場合、鬱が酷いと眠ってしまうことで治ることが多い。
それを無意識に求めていたのかもしれない。
以前の私は朝に酷い鬱に襲われていたので、それを少しでも治そうとしていたのかもしれない。

リワークプログラムに参加していた頃、この「中途覚醒」に苦しんでいる人が多かった。
私はそれが解らなかった。
どうしても眠ろうとするから苦しいのだ。
そう思っていた。
問題は翌日にきちんと起きられればいいのだ。
そう思っていた。。

中途覚醒に苦しんでいる人は多いと思う。
社会にいる人も、社会から外れた人も、苦しんでいる人は多いのだと思う。
何かの本で読んだのだが、どうしても眠れないときは開き直って起きてしまうのも、眠るための一つの方法なのだそうだ。
私もそう思う。
起きると判断してしまえば、苦しむことはない。
要は朝、決めた時間に起きられればいいのだ。

休職をして動けるようになってから私が最初に行ったのは、毎朝会社に行っていたときの時間に起きるという事だった。
私は早い時間に起きていたので、朝早く起きてもする事はなく、必ず2度寝をしていた。
けれども、それを中途覚醒とは思っていなかった。
時間は充分にあるので、悩むことはない。
そう思っていたのだ。

数ヶ月そんな事をして、次には散歩をするようにした。
朝、その時間に起きて朝食をとった後、1時間ほど歩いたのだ。
時期は冬だったので、辺りはまだ暗い。
だが、それは社会に戻る助走だと思って毎日続けた。
不思議と続けることが出来た。

そして、仕上げとして参加したのが、リワークプログラムだったのだ。
それは事故で入院した事を除けば、毎日参加することが出来た。
参加して暫くして、私は通勤訓練を始めた。

それは会社に行けていたときと同じ時間だったので、周囲にいる人は少なかった。
だから、あまり苦にならなかった。

社会から外れても私はきっと社会に戻れると思っている。
焦ることなく今の自分に出来ることをやっていけばいいのだ。
そう思っている。
焦るから苦しんでしまう、そう思っているからだ。

けれども、焦る気持ちは私にも解る。
前の休職の時の私がそうだったからだ。
火傷が治ってきて、動けるようになると、無理をして出社してしまった。。
今思えば、それは無理なことだったのだ。

だから私は、中途覚醒してしまってもあまり苦しまない。
何だか特をしたように感じているからだ。
起きてしまった分、自分の時間が多くなったように感じるからだ。
2度寝をしてもいい、朝きちんと起きられればそれでいい。
そして朝、きちんと起きられている。
憂鬱な気分もなく、気合いを入れて起きられている。
本来の自分を取り戻した、そう感じている。

今は朝の鬱は感じられない。
抗鬱剤も減薬出来た。
鬱の状態はきっと治ってきたのだろう。

夜中に起きてしまっても、それで良いではないか。
眠ろうとして苦しむのではなく、自分の時間を楽しめばいい。
私はそう思っている。

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