今日は久々にちょっと怒ってしまいました。
スクーターの強制保険が切れるという通知がきて、その保険会社の代理店に電話をしたところ、どこのコンビニでも入金できると言ったので、駅に行く途中のコンビニで支払おうとした。
ところが、出来ないというので、店員にそんな筈はないと代理店の言ったことを告げた。
すると、店長らしき人が出てきて、同じことを言うのでちょっと切れて代理店に電話をかけさせた。
そして、代理店と話すと、私の言ったコンビニでは扱っていないとのこと。
そこで私は切れた。
少し大きめであらげた声になり、相手にミスを自覚させ、結局今夜部屋に来させる約束をさせてしまった。
相手の態度がどうしても許せなかったからだ。
けれども、以前のようにその怒りが持続することもなく、病院に着く頃には治まっていた。
このエピソードを主治医に伝えたところ、まぁ喜怒哀楽の範囲で心配することはないだろうというお言葉だった。
以前ならこういった怒りの衝動は、かなり強い状態で長い時間続いたものなのだが、最近は怒りにつながらなかったり、怒ってしまっても強い感情が長く続くことはなくなってきた。
これは、孤独感や鬱っぽい気持ちにも同じことがいえる。
僅かなぶれ程度ですんでいるのだ。
主治医の判断は前回の通院の時からそんな感じだったので、抗うつ剤の一つを減薬していた。
2週間の減薬でも鬱になることは殆どなく、また今回のエピソードも喜怒哀楽の範疇と言うことだったので、抗鬱剤の一つを今回なくすことが出来た。
少しずつ薬の方は軽くなってきている。
病気が治ってきたのかもしれないという言葉も主治医の口から出てきた。
それでも、諸手をあげて喜べない自分がいる。
やはり「再発」が怖いのだ。
鬱の症状はそれだけ怖い。
社会から完全にドロップアウトしてしまうからだ。
心の苦しさと惨めな気持ちに襲われてしまうからだ。
今回の怒りは私も喜怒哀楽の範疇だと思う。
全く平坦な感情では、人間ではない。
感情を持っているからこそ、人間なのだ。
それは良いときもあれば、そうでないときもある。
その感情をうまく制御できるのが健常者なのだろう。
ならば、私も健常者に近づいてきたのだろうか?
恐らくは、そうではないのだろう。
再発への恐怖がなくなり、薬に頼らなくなったときが健常者なのだろう。
そんな日がいつかは来てくれる。
そう信じて今日も無理をせずに生きていく。
それが今、出来ることだからだ。。
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