2014年3月29日土曜日

春の訪れ

ぽかぽかと暖かくなってきたので、近くにある「ふるさと村」に行ってきた。
スクーターで20~30分程度走って着くようなところ。
家族連れや老夫婦などが散歩を楽しんでいました。

私は時々この場所に来る。
ここは私の育った場所であり、以前家族と暮らしていた場所でもある。
あまりよい思い出はないのだが、何故か懐かしい気分になるのだ。

最近、以前よりも気楽に行けるようになったのは、何よりも憎しみの対象だった人物が殆ど死んでいったからなのかもしれない。
一時期はそんな現実を許せなくて苦しんだものだが、今はなんとも思っていない。
むしろ当然の報いを受けたとさえ思っている。

私も年をとったが、私や私の母をバッシングした奴らも年を取り、死んでいくようになった。
だから心の傷を気に留める必要もないはずなのだが、やはり受けた痛手は大きく、それだけでは気持ちは収まるどころか、かえって憎しみが増していた時期があった。
いわゆる「やり逃げ」と感じていたからだ。
あれだけのことをしていながら、何の償いもせずに死んでいくことが許せなかったのだ。
今では許している、などということはないのだが。。

何故許せないのか?
その理由は簡単だ。
バッシングのお陰で心に傷を負い、それがやがて発病に繋がってしまったからだ。
そのために、私の人生の多くは苦しみの時間に費やされてしまった。
これをどう償ってくれるのだ。
そういうものが私の心の奥底に怒りとなって積もってしまったからだ。

その怒りは今でも収まってはおらず、心の奥底に沈んだ状態になっている。
しかし、そのために私は一生薬を飲も続けなければならない状態になっている。
人と深く関わりあえなくなっている。
それは幸せとはいえないのだろう。。

それでは、今、私は苦しいのだろうか?
それが苦しくはないのだ。
薬のせいだと行ってしまえば、それまでなのだが、それだけでもないような気がしている。
今でも狩りが心の中にあるのは感じることが出来る。
けれども、私の意思に逆らってそれが出てくることはない。
言葉遣いも柔らかくなってきている。
私の周囲に穏やかな空気があることを実感している。

私はきっと変わったのだろう。
自分では実感はないのだが、とても穏やかな人間になったような気がする。
身を焦がすように強い怒りはなくなり、制御できる程度の弱い炎のようになっている。
まるで花が咲き始めた季節の空気のように、である。

この柔らかく暖かい季節、私はそれを大事にしたいと思う。。






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