先週、先々週と降った雪は首都圏に多きな影響を与えて去っていった。
今週も降るかもしれないという予報は幸いにも外れてくれた。
街は平常に戻っている。
雪も大分溶けて消えていった。
それでも未だ頑固に残っている雪がある。
大体は陽の当たりにくい影のところの雪だ。
この雪は凍っていてなかなか溶けないだろうと気象予報士が言っていた。
記憶にもそういうことがある様に思う。
強く嫌な記憶ほど消えにくい。
それは私にもある。
幼少期から私は母親と共に親類から虐められた。
それは差別にも近いものだった。
母は私が高校の時に亡くなったが、それも原因のひとつではないかと思う。
私にとってみればそれはいわれのない行為だった。
そして当時の私の立場はとても弱いものだった。
だから、そういった怒りは抑えられ、やがて憎悪となり、そして殺意に変わっていった。
その頃の記憶は幸いにも多くが消えていった。
それは心が壊れないようにするための防御のひとつなのだろう。
しかし、憎悪と殺意は消えずに残った。
それが私の心を壊してしまった。
10年以上の治療によってその憎悪もだいぶ収まってきた。
しかし全ての記憶が消えたわけではない。
残った憎悪は私を壊すほど強くはないが、間違いなく残っている。
それはまるで日陰に残る残雪にも似ている。
しかし、それを短時間で溶かす術は今のところない。
結局、それには時間が必要なのだろう。
人生の大半を支配してきた感情から逃れかけているのだが、残された時間は、それまでの時間と比べて余り長くはない。
やはりそこには不条理を感じてしまう。
それは記憶を心の中に残してしまう。
堂々巡りなのだ。
記憶を消すことが出来るのならどんなに良いだろう。
若く苦しみの中にいた頃は切に願っていた。
だが、それは叶わなかった。
今、消せない記憶の中で私の記憶は小さくなってきている。
そしてまた、憎悪さえも意識しないで済む様になって来た。
頑固な残雪もいつかは融けるのだろう。
私の記憶と憎悪もそうである事を祈りたい。が
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