このところubuntuを使っている。
Windowsと共存できる環境に復帰できたからだ。
面白そうなアプリを入れて楽しんでいる。
不安定なLineもその原因らしきものがわかり、アップデートをしないで使っている。
勿論、これまでこれを使ったことがなく、まったくの初心者だ。
だからこれからも使い続けるかは解らない。
まだネットがすべて使える状態ではないので、これを何とかしないといけない。
まぁ、暫くは格闘するのだろう。
これもチャレンジだといえないこともない。
楽しみながら新しいことを受け入れていく。
そんな作業を今やっている。
仕事の面にもそれはいえるのかもしれない。
今のところ上司は自由に動かしてくれている。
なので、自由に動いている。
今、必要なこととはいえないが、きっと先には役に立つだろうということを。。
単調な作業だが、楽しんでやっているのだろう。
それほど長い時間には感じないで済んでいる。
作業に苦痛を感じないこと、それが私には必要なことなのだろうと思う。
苦痛に感じることで、それが欝に繋がるのではないかと思う。
もっとも、その作業が楽しくて待ち遠しいとまではいっていない。
朝の日課をこなし、苦痛でない作業を行う。
それは大事だとおもう。
2年間の休職の中で学んだことなのかもしれない。
そうであるのなら、あの2年間は無駄な時間ではなかったのかもしれない。
そもそも50年近くも欝の状態だったのだ。
それが2年で治ったならば、それは決して長い時間ではない。
今、私の感じる時間に欝というものはない。
そんな中で新しいものに目が向くようになってきた。
それは喜ばしいことだと思う。
この状態が続いていくかもしれない。
そんなふうに感じられるようになってきた。
そう、私は生まれ変わったのだ。
そう信じたい。
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