2014年2月10日月曜日

重装備

私は通勤時、結構重装備だ。
上半身はスーツやコートを含めて4枚、下はズボン下も履いている。
手袋はしているし、毛糸の帽子も被っている。
持ち物も結構多い。
インシュリン注射、血糖測定器、スマホ、電子辞書(ワンセグテレビ)、タブレット、ポケットWiFi、タバコにライター等だ。

これだけ着込んでいると肩をいからせるほど寒くはない。
持ち物はどれも欠くことが出来ない。
だから私の鞄は思い。

こうして自分を振り替えるとふと思うことがある。
心を病んだときにこれ程重装備することが出来るのだろうかという事だ。
実際のところ、それは難しいのではないか。
そんなふうに思う。

本来、心を病んでしまうと周りの人の支えが必要になってくる。
だが、全ての人がその支えを受けることは難しい。
理解されることが難しいからだ。
理解されるよりも責められる方が多い場合もある。
また、心の病は周囲を巻き込んでしまうので、周囲は疲弊してしまう。
こういう環境では支えを受けることは出来ない。

周囲の環境は、自分で整えなければならない。
理屈では解るのだが、その難しさは大きい。

そういうところから引き篭ってしまう事もある。

自分を守るにはそれしか方法がないのだ。
そんな状態は症状を悪化させることはあっても、改善させることはない。
八方塞がりなわけだ。

私がそんな環境でも事態を抜け出すことが出来たのは、じっくりと行ったメンタルケアだったと思う。
2年近く休養を取り、最後はリワークプログラムに参加した。
そこで認知行動療法やアサーション等を知り、武装することが出来た。
それが大きな支えとなっている。

あと、出勤後の日課も支えになっている。
この日課は結構楽しみになっている。
これがあるから出勤も苦痛にならなくて済んでいる。

一人でいることに不安を感じないのは、開き直ってしまったからだと思う。
人を身近に置くとどうしても束縛されてしまう。
一人は自由なのだ。と開き直ったのだ。

これらの事は私の装備のひとつになっていると思う。
人は鎧や武器がなければ有利に闘えないのだ。

そういう装備を身に付ける事は大事なのだが、果たしてそれが心を病んでいるときに出来るだろうか?
答えはNoである。
症状と闘うだけで精一杯だからだ。
では、どうしたら良いのだろう?

無責任なようだが、今の私はその答えを持っていない。
ただ、時間が必要なことだけは解っている。
だから私は引き篭りを否定はしない。
力が付くまで籠城しても良いではないか。
そんなふうに考える。

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