2014年2月25日火曜日

マスク

今はお昼休み。
会社のとあるフロアで保険屋さんがマスクを配っていた。
なので、用事もないのにそのフロアに行き、マスクを貰って来た。

季節柄花粉対策用のそれなのだろう。
早い所ではもう飛散しているらしい。
私は花粉症ではなのでその苦しさは分からないのだが、花粉症の人は大変な苦しさを味わうらしい。

心の病、鬱病や躁鬱病などはそれに似ているのかもしれない。
余程の重篤な状態でなければ外からは分からないからだ。
故に中々理解されない。
理解されないがために責められてしまうこともある。
悪循環の中に放り込まれるのだ。

薬も当然あるのだが、この病は病名が中々つかないこともある。
その為に治療も手探りになることもあるらしい。
たまに聞くのが中々治らないから医者を替える。
人間的に合わないから医者を替えるというものだ。

確かに医者と患者の間には信頼関係がとても重要だ。
それなくして良い治療は受けられないし、症状も改善しないだろう。
でも、コロコロと医者を替えるのはどうかと思う。

単純な人間関係でも信頼するのには時間を必要とする。
だから会ってすぐにそれを構築するのは難しい筈だ。
それなのにこの関係では苦しさ故にすぐに信頼関係を持とうとする。
それが出来なければ医者を替える。
これでは堂々巡りだ。

それでも、どうしても信頼が置けない場合、医者を替える必要もある。
中には良くない医者も居るだろうからだ。
ただ、そうなるとその見極めが難しい。

コロコロと医者を変えるとその度に治療がリセットされてしまう。
それは好ましくはない。
だが、医者選びまでを苦しい中でしないといけない環境は如何なものかと思う。

出来うるならばこういった病気も予防が出来るといい。
風邪や花粉症などの時にマスクをするように対処できる方法がもっと一般に広がると良いと思う。

そんな時もいつかは来るのだろう。
その日が来てくれるのを私は待とうと思う。

2014年2月22日土曜日

今日もまた通院日です。
例よってスクーターで寒い中を渋谷まで。
約1時間の道のり、楽しんで走ってきました。

渋谷までは国道246号線を使うのですが、これが意外とコンディションは良くない。
それもどちらかというと都内に入ってから。
道の凹凸で時折ヒヤッとします。

こういうのって2輪車に乗っているとよく分かる。
タイヤがとられてバランスを崩すからだ。
そういう時、体制を立て直すのだが、寒いとそれもぎこちなくなる。
そう、身体が縮こまっているからだ。

私が冬を嫌いなのはこういうところにもある。
縮こまって力が入るのが嫌なのだ。
暖かいとこういうことはない。

構えているよりも自然体がいい。
余計なことに力は使いたくない。
そういうことで使っているとストレスになるからだ。
ストレスは出来るだけ回避したいのだ。

もう少しで薬をもらって帰途に着く。
無理せず流れにのって帰ろうと思う。

2014年2月21日金曜日

残雪

先週、先々週と降った雪は首都圏に多きな影響を与えて去っていった。
今週も降るかもしれないという予報は幸いにも外れてくれた。
街は平常に戻っている。
雪も大分溶けて消えていった。

それでも未だ頑固に残っている雪がある。
大体は陽の当たりにくい影のところの雪だ。
この雪は凍っていてなかなか溶けないだろうと気象予報士が言っていた。

記憶にもそういうことがある様に思う。
強く嫌な記憶ほど消えにくい。
それは私にもある。

幼少期から私は母親と共に親類から虐められた。
それは差別にも近いものだった。
母は私が高校の時に亡くなったが、それも原因のひとつではないかと思う。

私にとってみればそれはいわれのない行為だった。
そして当時の私の立場はとても弱いものだった。
だから、そういった怒りは抑えられ、やがて憎悪となり、そして殺意に変わっていった。

その頃の記憶は幸いにも多くが消えていった。
それは心が壊れないようにするための防御のひとつなのだろう。
しかし、憎悪と殺意は消えずに残った。
それが私の心を壊してしまった。

10年以上の治療によってその憎悪もだいぶ収まってきた。
しかし全ての記憶が消えたわけではない。
残った憎悪は私を壊すほど強くはないが、間違いなく残っている。
それはまるで日陰に残る残雪にも似ている。
しかし、それを短時間で溶かす術は今のところない。

結局、それには時間が必要なのだろう。
人生の大半を支配してきた感情から逃れかけているのだが、残された時間は、それまでの時間と比べて余り長くはない。
やはりそこには不条理を感じてしまう。
それは記憶を心の中に残してしまう。
堂々巡りなのだ。

記憶を消すことが出来るのならどんなに良いだろう。
若く苦しみの中にいた頃は切に願っていた。
だが、それは叶わなかった。
今、消せない記憶の中で私の記憶は小さくなってきている。
そしてまた、憎悪さえも意識しないで済む様になって来た。

頑固な残雪もいつかは融けるのだろう。
私の記憶と憎悪もそうである事を祈りたい。が

2014年2月20日木曜日

昼休み

今、12時32分。
押昼休みの時間だ。
周りを見回してみるとお昼寝をしている人、パソコンを操作している人等様々な過ごし方をしている。
私もいつもなら昼寝をしているのだが、今日はなんだかその気分ではないので、こうしてBlogなぞを書いている。

大体10分前後の昼寝は良いらしい。
頭も冴え、リフレッシュできるからだそうだ。
確かに昼休みの昼寝は気持ちが良い。

昼休みにパソコンを操作している人は何をしているのだろう?
我が社のパソコンにはWindows付属のゲームすら入っていない。
覗き込んでみるとネットサーフィンをやっていたり、お仕事をやっていたりしているようだ。
お仕事をやっている人は私はあまり好まない。

本来、仕事というものは就業時間内に終らせるものだと思う。
それを越えてやらなければならないのは、どこか作業効率が悪いからではないだろうか?
作業がどのくらいで終るのかを見極めるのが仕事であり、やらなければならない事をするのは作業だと私は考えている。
だから仕事をしている時間は私には少ない。
そして残業も余りしない。
作業効率さえ良ければ余り残業というものは必要ないと考えている。
それに私は仕事が嫌いなのだ。
束縛される時間が嫌いなのだ。

作業効率を良くする。
今日やらなければならない事をあらかじめイメージしておく。
今日終らなくていいことは今日やらない。
この3本柱があれば残業はかなりしなくて良いと思う

ゆとり

私はこのところ会社に行く前にコーヒーを飲みタバコを一服吸っている。
かれこれ2週間になるのだが、これからも続けていくつもりだ。
朝の忙しい中でも、だ。

また、私は会社に着くのが早い。
8時40分始業のところ7時30分には自分のデスクのところにいる。
缶コーヒーを飲みながらテレビを見たりBlogを更新したりしている。
これは復帰してから一度もぶれていない。

当然、部屋を出る時間も早い。
そんなに早く出る必要はないと人は言うが、私はこのスタイルを変えるつもりはない。
勿論、これには理由がある。

元々私は混んだ電車が嫌いなのだ。
出来れば座って行きたいと常に思っている。
全ての路線で座っていくことは無理なんだが、この時間に出ると一番長く乗っている路線で座れるのだ。
だから部屋を早く出るのだ。

不思議と慣れてしまうとこういう生活は苦痛ではなくなる。
ましてや会社についてからの約1時間の時間は楽しみの一つにさえなっている。
この「楽しみ」という時間は大事である。

以前も私は部屋を出える時間が早かったのだが、会社についてからはただぼんやりとしていた。
常に鬱っぽい状態だったので、何かをしようという気にはならなかったのだ。
それが、ただぼんやりするのはもったいないと感じるようになってきた。
常に鬱という状態から脱したのだろう。

忙しい朝であるからこそ、心のゆとりというものを忘れないようにしたい。
ぎりぎりの状態ではすぐに心は弾けてしまう。
それだけは避けなければならないことだ。

単調な日常の中でほんの少しの余裕が今の私を支えてくれている。
このリズムは崩さないようにしていきたい。


2014年2月18日火曜日

怒り

私の中には怒りという抑えがたい衝動がある。
今は抑えられているが、それは胸の奥に相変わらず存在している。

その衝動は何処にあるのか、私はそれを知っている。
それはいわれのないことで攻撃を受けたことが発端である。
向こうにとってはそれがどんなことかは解っていない。
その事が余計に怒りを生む。

親同士の関係に何があったのかは知らない。
けれども、それの影響を私は受け続けた。
よく「子供には罪はない」というが、そんなことはない。
攻撃の対象さえあれば喜んでそれを追い詰める。
島国の人間の醜いところだ。

これは差別の背景でもあるのだろう。
彼らにも罪はない。
ただそこに生まれただけなのだ。
攻撃を受けるいわれはない。
自分の楽しみのために人を攻撃する。
それが島国の人間の特徴だ。

怒りや憎悪という感情は抑えるのがとても難しい。
それも防御の本能のひとつなのかもしれない。
また攻撃本能の現れでもあるのだろう。
だから平和に過ごすためには抑えな毛れなならない感情なのだろう。
私はそれをするために社交性という性質を捨てた。
人と接しなければ怒りを生むことはないからである。

それでもこの10年近くはそれでも抑えられなくなってしまった。
限界に達していたからなのだろう。
今はそれを薬で抑えられている。
でも、本当にそれだけなのだろうか?

人は私の事を変わったという。
死んだような目に精気が出てきたと云うのだ。
でも、自分にはそれは解らない。
ただ、前よりは楽になったという感覚があるだけだ。

そのきっかけは開き直ったところにあると思う。
それまでは、自分の運命を呪っていた。
けれども、呪ってみても現実は変わらないのだ。
ならばその時間は無意味だと云うことになる。
無意味なことをしても時間がもったいないだけである。
誰しも永遠の命を持っているわけではない。
限られた時間しかないのである。

今でも怒りや憎悪と云う感情はある。
でも、それが表層に出てくることはない。
そんな今を大事にしたいと思う。。

2014年2月17日月曜日

早朝覚醒?

今朝は3時に目を覚ましてしまった。
うだうだやっていたら4時になってしまったので、起きてしまった。
少し眠たいが気分は悪くない。

リワークに通い始めた頃、早朝覚醒をしてしまったと言う人が数人いた。
中には1年以上通っている人もいた。
そういう意味では今朝のことはそれに当たるのかもしれない。
けれども私はそう思わずに無理に寝ようともしない。
少し早く起きてしまったと解釈するのだ。

確かに鬱病の症状のひとつに早朝覚醒というものはある。
それに苦しんでいる人もいる。
けれども、考え方を変えることでそれを回避することは出来るのではないかと思う。

早く起きてしまったとき、本来の起きる時間に眠気を伴わずに起きたい。
そんな思いがあって再び眠ろうとするのだろう。
そうして昼間、眠らない様にしようとするのだろう。
けれども、得てしてそんなときは眠れないものだ。

そんな時は無理に眠ろうとはせずに起きてしまえば良いと何かで読んだ。
そうすると眠れるようになるのだそうだ。
ましてやリワークとは仕事に復帰するための調整期間だ。
夜中に起きてしまっても良いのだと私は思っていた。
ただしそれを早朝覚醒とは意識しないようにしていた。
目が覚めても仕方のないこと。
それが本来起きる1時間程度早く、眠れそうもないときは起きてしまったのだ。
だから私には早朝覚醒という言葉はない。

世の中には鬱病になりたがる人もいるらしい。
休みたいから診断書を書いてくれという人がいるようだ。
それは違うと私は思う。
リワークの中で早朝覚醒を訴えていた人の中に、昼間眠ってしまうというのが症状だと言う人がいた。
それは鬱病なのだろうかと私は思った。
昼夜逆転してしまう別の要因ではないだろうか?

その人は昼夜逆転してしまっているのを改善しようとはしていない様に私には見えた。
どこかに甘えはなかっただろうか?
私自信にも病気に負けてしまったという甘えがあったのではないかと思うことがある。
それでも、仕事に復帰したときの生活リズムを取り戻すために工夫はしてきた。
それが病気と向き合うということではないだろうか?

欝の状態は甘えと見分けが尽きにくい場合がある。
それが理解されにくいことの要因のひとつだと思っている。
甘えている人間が鬱病を語るのは正直言って迷惑だ。
本来苦しんでいるものさえも甘えという枠でくくられかねない。
まぁ、そんな人は多くはないと思うが。。

このところ、耳が聞こえなく障害者2級の手帳をもつ作曲家が実はゴーストライターを使っていたという話題が耳に入る。
正直、腹を立てている。
こういう人間がいるから私たちは市民権を持てないでいるのだ。

私たち心の病を持つ者は2つの敵と闘っていると云えるのかもしれない。
病気と云う敵と理解しない世間と云う敵とである。
いずれの敵も手強い。
だが、闘うしかない。
その先にしかゴールはないのだから。。

2014年2月16日日曜日

滑る道

今日はほんの少しだが出かけた。
スクーターのガソリンが残り少なかったので入れに行ったのだ。
ついでに近くのスーパーで買い物をして帰ってきた。

大したスピードは出さなかったけれども、結構怖かった。
この間降った雪がまだ路面に少し残ってシャーベット状になっていたり、道が濡れて滑りやすかったからだ。
陽に当たったところは乾いていたのだが、日陰の部分はまだそんな感じなのだ。
だからなるべく危なくなさそうな部分を選んで走っていた。

勇気がないと言われればそれまでだが、もう若い頃のようには行かない自分がいる。
別に家族と一緒に暮らしているわけではない。
責任があるわけでもない。
要するに怖いのだ。

その原因には昨年の9月に起こった交通事故があるのだろう。
その時は肋と鎖骨を骨折した。
結構な大怪我だ。
その傷はまだ治っていない。

記憶とは恐ろしいものだ。
意識をしていなくても身体が覚えていることもあるのだ。
多分、危険なことから遠ざけるための本能なのだろう。

鬱状態というのもそんなものがあるのかもしれない。
魚を天敵と一緒に水槽で飼うと鬱状態を引き起こすということを以前テレビで見た。
それは防衛本能が引き起こすと言っていた。
辛い現実から逃れるために引き起こされる現象なのかもしれない。

 人は時にそんな状態の者を非難することがある。
それには色々な事情もあるのだろう。
でも、私はそんな現実を悲しく思う。
病気の人間には罪はないからだ。

いくら理解が進んだとはいえ、まだ鬱や躁うつに対する他人の評価は良くない。
以前も言ったが、「気違い」という人間もいる。
否定はしたいのだが、それもまた現実である。

どんなに苦しさを叫んでも、それは人には届かない。
それがまた新たな苦しみを生む。
堂々巡りだ。

だから変わらなければならないのは、苦しみを抱えている人間になる。
人は簡単にそんなことをいう。

でも、それは簡単なことではない。
そのことを人は知らない。
それは悲しいことだと思う。
でも、そうするしかないのも現実である。。

苦しみの状態とそうでない状態は紙一重である。
だからいつ、こちら側に落ちてくるかは解らないのだ。
それに気づけば、人は変われるのかもしれない。
そうなれば苦しさから抜け出すこともずっと楽になるのかもしれない。
そんな日が早く来ることを私は願ってやまない。。

2014年2月14日金曜日

雪ふたたび

今朝はエアコンの効きが悪かった。
どことなく肌寒いのだ。
昨夜の天気予報は雪が降ると言っていたが、案の定その通りになった。

まだ降り始めなのだろうか、道路には雪は積もっていない。
それでも少し風があるので雪は横の方から降ってくる感じだ
私の通勤時に乗る電車は遅れてはいなかったが、現在送れた電車が出始めている。

テレビのニュースも雪の事を言っている。
雪に弱い都会なのでこういう時は大騒ぎだ。

子供の頃は雪は好きだった。
雪遊びが出来たからだ。
でも今は嫌いだ。
足元が滑って転びかねないからだ。
それにエアコンが効かない。
憂鬱なことばかりだ。

それでも、いつものように起き、いつものようにコーヒーで一服して部屋を出る。
いつものように重装備で出掛けたが、底冷えがするのだろうか、それでも寒さを感じた。
重装備でなければ、肌を刺すような寒さなのだろう。
この気温は今日1日続くらしい。
視界も雪のせいで狭い。

それでも会社の中は暖かい。
装備を解いても寒さを感じることはない。
まぁ、そうでなければ仕事ははかどらない。

心が寒い、そんな表現を聞く。
希望の見えない状態を指す言葉なのかもしれない。
そして出口が見えない状態を指す言葉でもあるのかもしれない。
心の中の暖房は何処にあるのだろう?

孤独な状態では、それは無いのかもしれない。
でも、一人の場合には、それはあるのかもしれない。
同じ物理的な状況でも、独りと一人では全く違う。
一人には人との関わりが未だあるからだ。

心の暖房は案外そんなところにあるのかもしれない。
それほど深くない関わりでも、救われることがあるからだ。
独りには、それがない。

独りから一人に変わることで人は救われるかもしれない。
それがどんな関わり方でも良いと思う。
閉じ籠ってしまう事を私は否定しないのだが、やはりいつかはそんな壁を壊す必要があるのだろう。

この雪は明日には雨になるようだ。
冷たい雪もいつかは止む。
寒い冬もいつかは終わる。
独りの状態もいつかは終わる。
私はそう信じたい。

2014年2月13日木曜日

ネタが。。

ここまで心の事をメインにBlogを書いてきたが、ついにネタが尽きてきた。
やはりこのあたりが限界なのだろうか?

これまでは、自分の生育歴を元に書いて来たところがある。
私の苦しみも怒りも憎悪も全ての源はそこにあるからだ。
それらの感情は今も消えてはいないが、自分を支配してしまうほど強くはない。
長かった事象も終わりを告げようとしているのかもしれない。

そうなるとネタも尽きてくるのだ。
元々明確なテーマをもって始めたわけではない。

自分は難しく考え過ぎているのかもしれない。
心のことと狭い範囲でしか考えているからネタが尽きるのだろう。
これは自分の生活面にも現れているのかもしれない。

もっと気楽に考えよう。
そう思う。
肩肘を張っても良いことはない。
そうなれれば。もっと楽に暮らせるのだろう。

ネタを見つけるには観察力も必要なのだろう。
自分の周囲を見つめて、些細なことにも心を動かし、それを記憶する。
その能力は必要だと思う。
私にはそれが欠けている。
それを身に付けたいと思う。
何にでも興味を持つこと。
それは大事なことだ。

それは仕事の面にも云えるのかもしれない。
私の仕事は上からの指示などを受けてするものではないし、他部署が絡む訳でもない。
自主性が必要なものなのだ。
だから小さなことにでも気付きが必要なのだと思う。

私の場合、アウトドア派ではないので、毎日は単調なものだ。
そんな中で気づきなどと云う物が果たしてあるのだろうか??
それは疑問に思うものではない。行動して身に付けていくものなのだろう。
そう思う。

それは傷つき、苦しんでいるなかにも必要なのだろう。
苦しい中では、悪い事しか目に入らない。
けれども、そんな中にも小さないいことはあるのだと思うし、そう思いたい。
小さな良いことでも積み重ねていけばいくらかは楽になれるのかもしれない。
私もそれを身に付けたいと思う。

明日からのネタをこの時点から見つけるようにしよう。
それが感性を磨くことにも繋がるかも知れないから。。

2014年2月12日水曜日

幸せ

幸せってなんなのだろ?
時々漠然と考えることがある。
お金を持っていても幸せではなく、お金がなくても幸せだと云う人もいる。
一体幸せというものはなんなのだろうか?

私はまだ幸せだとは思っていない。
だからといって不幸せだとも思っていない。
別に仕事が充実している訳ではない。
お金がある訳でもない。
家族と共に暮らしている訳でもない。
寂しいと思わない事もない。

私に生育歴も普通ではない。
高校でドロップアウトしたし、子供の頃は暗いものだった。
それに見会う人生でもなかった。
そして、その頃は不孝だと思う毎日だった。

考え方が変わったのは最近になってからだ。
そして、それからが楽になった。
どうしてそうなったのかは解らない。

幸せには定義がない。
私はよくそう言う。
人生が辛いと思っている人などにだ。
不孝と云うものにはどうだろうか?
もしかするとそれにも定義はないのかもしれない。
ただひとつだけ云えるのは、笑いのない毎日を送っていることが不孝なのかもしれない。

人の人生を幸せと不孝とに分ける事が出来るのだろうか?
それはたぶんNoなのだろう。
幸せと不孝の間には無数の普通と云うものがあるのではないかと私は思う。
どだい2つに分けてしまう事は出来ないのではないかと思う。
1か0かに分けられる訳ではないと思う。

デジタルの世の中になって、こんな風に感じる考え方が増えてきてのではないのだろうか?
そしてアナログだった昭和という時代を懐かしむ。
1と0との間に無数の数があった時代を懐かしんでいる。
その背景は何なのだろうか?

昭和という時代はある意味で挑戦の時代だったのかもしれない。
それまで無かった物が沢山世の中に出てきて、それが普及してきた。
良い事も悪いこともあった時代だった。
ではその時代、人々は皆、幸せだったのだろうか?
必ずしもそうではなかった様に思う。

何時の時代にも幸せだと云う人はきっと少ないのだろう。
幸せとは自分の毎日を納得している人ではないかと思う。
ならば納得していないのは不孝なのだろうか?
そうではないと私は思う。
人生に納得してしまえば、そこから進歩はないのだろう。
進歩したいと思うのがきっと人間の考え方なのだろう。

そう云う状態は幸せとは云えないのかもしれない。
自分の欲求が満たされていないからだ。
だから人は理想を持ち、それに向かって行こうとするのだろう。
現実とのギャップを感じながら。

私にも理想の生活はある。
現実とのギャップも感じている。
それがすぐに叶わない事も知っている。
けれども、私は不孝ではない。
心に余裕があるからだと思う。
現在、それを感じる人は少ないのだろう。

それならば、私はもしかすると幸福なのかもしれない。
けれども、まだそれを実感は出来ていない。
きっとそれを感じられる日も来るのだろう。
その日を楽しみにして、今日を生きようと思う。
ただ、それだけしか出来ないのだから。。

2014年2月11日火曜日

暇潰し

今日は1日中部屋の中で過ごした。
朝方あまり天気が良くない気配がしたからだ。
先週の雪はまだ残っている、スクーターで出掛けるにはちょっと危ないと思うのだ。
そこで今日はノートパソコンにUbuntuを入れることにした。

始めにデスクトップにインストールした際に使ったディスクでやってみた。
問題なくインストール出来たかに見えたのだが、パソコンを再起動してもデュアルブートのメニューが出ずにWindowsが起ち上がってしまう。
何度やっても結果は同じだった。

これは無理なんだろうかと思いながらネットで調べてみるとWindows7スターターの入っているパソコンの場合、こういった現象が出るのだそうだ。
それではダメなのかと思ったら抜け道があった。
バーチャルボックスとWubiというソフトだ。
バーチャルボックスはWindowsの中に仮想的な起動ドライブを作って、そこから違うOSを起動させるもので、WubiはWindowsとUbuntuを共存させるソフトだということだった。

まず、バーチャルボックスを試してみたのだが、これが許せないほど遅い。
私のノートパソコンのスペックが低いためもあるのだが、それでも遅くて使いようがない。
そこでWubiを試してみることにした。
Wubiは問題なくインストールできたし、そこそこの速さだった。
しかし、起動の際のパスワードが通らない。
アンインストールしては、またインストールを繰り返したが状態は変わらない。
そんな時にふと気づいたのが、インストールファイルの名前に-enの文字が。。
そう、英語版だったのだ。

再びWubiを探してネットの中へ。。
幾つかのサイトを巡っている中で直接Wubiをダウンロードできるサイトを見つけた。
迷わずそこからダウンロード。
Wubiのファイルには-enの文字はない。
迷うことなくインストールしてパソコンを再起動。
今度はパスワードが通った。

しかし、まだ問題が残っていた。
メニュー表示などが英語のままであるし、日本語入力が出来なかった。
あと一歩のところでまた立ち止まってしまったのだ。
更に調べていくとどうやら日本語入力のためのプログラムが入っていないらしいということがわかり、そのインストール方法を調べた。

そうこうしてノートパソコンのUbuntuで日本語入力が出来るようになった。

いつもなら途中で諦めて投げ出してしまうのだが、今日は休みの日なのでこれに掛かり切ることが出来た。
時間があったから出来たのだ。

私はよく諦める。
時間がないときなどは特にそうだ。
そうしないと引きずってしまう。
だからどこかで踏ん切りをつけて、時間があるときにやりなおす。
そんなことを繰り返している。
そういう意味では、諦めることも大事だと思う。

前にも書いたと思うが、諦めてはまたトライする。
結局は諦めていないんだな、これが。。

まぁ、時と場所を考えて行動するっていうことなのだろう。

とにかく、ノートパソコンもデュアルブート環境になった。
あとはどんなアプリを入れるかだ。




2014年2月10日月曜日

重装備

私は通勤時、結構重装備だ。
上半身はスーツやコートを含めて4枚、下はズボン下も履いている。
手袋はしているし、毛糸の帽子も被っている。
持ち物も結構多い。
インシュリン注射、血糖測定器、スマホ、電子辞書(ワンセグテレビ)、タブレット、ポケットWiFi、タバコにライター等だ。

これだけ着込んでいると肩をいからせるほど寒くはない。
持ち物はどれも欠くことが出来ない。
だから私の鞄は思い。

こうして自分を振り替えるとふと思うことがある。
心を病んだときにこれ程重装備することが出来るのだろうかという事だ。
実際のところ、それは難しいのではないか。
そんなふうに思う。

本来、心を病んでしまうと周りの人の支えが必要になってくる。
だが、全ての人がその支えを受けることは難しい。
理解されることが難しいからだ。
理解されるよりも責められる方が多い場合もある。
また、心の病は周囲を巻き込んでしまうので、周囲は疲弊してしまう。
こういう環境では支えを受けることは出来ない。

周囲の環境は、自分で整えなければならない。
理屈では解るのだが、その難しさは大きい。

そういうところから引き篭ってしまう事もある。

自分を守るにはそれしか方法がないのだ。
そんな状態は症状を悪化させることはあっても、改善させることはない。
八方塞がりなわけだ。

私がそんな環境でも事態を抜け出すことが出来たのは、じっくりと行ったメンタルケアだったと思う。
2年近く休養を取り、最後はリワークプログラムに参加した。
そこで認知行動療法やアサーション等を知り、武装することが出来た。
それが大きな支えとなっている。

あと、出勤後の日課も支えになっている。
この日課は結構楽しみになっている。
これがあるから出勤も苦痛にならなくて済んでいる。

一人でいることに不安を感じないのは、開き直ってしまったからだと思う。
人を身近に置くとどうしても束縛されてしまう。
一人は自由なのだ。と開き直ったのだ。

これらの事は私の装備のひとつになっていると思う。
人は鎧や武器がなければ有利に闘えないのだ。

そういう装備を身に付ける事は大事なのだが、果たしてそれが心を病んでいるときに出来るだろうか?
答えはNoである。
症状と闘うだけで精一杯だからだ。
では、どうしたら良いのだろう?

無責任なようだが、今の私はその答えを持っていない。
ただ、時間が必要なことだけは解っている。
だから私は引き篭りを否定はしない。
力が付くまで籠城しても良いではないか。
そんなふうに考える。

2014年2月9日日曜日

お篭もり

昨日の雪はすごかった。
なんでも40数年ぶりの大雪だったそうだ。
さすがに病院から帰ったら出掛けることは出来なかった。
それなので、洗濯でもしようかと思ったら水道が凍っていてできない。
正直困ってしまったが、どうすることも出来ない。

それでパソコンと戯れることになった。
この間からやっているubuntuのセッティングだ。

ubuntuのインストールは問題なく出来た。
誤って消去してしまったWindows7もインストールできた。
とりあえず環境は整った。

消してしまったWindowsに必要なソフト(Kingsoft officeとAccess)をインストールしてubuntuに戻る。
WineをインストールしてLine、ラジコ、一太郎を入れる。
一太郎はあまり使うことはないだろうが、持ち運び用のノートパソコンにもインストールした。
KingSoft Officeは、ubuntuに入っているLible Officeの印刷機能がお粗末だからだ
Excelファイルは2週間に1度主治医に見せるための資料を印刷するので、通しても必要な機能だからWindows側にインストールしたのだ。
あと、Accessはどうしても使いたいソフトなのだが、Wineでは動かないためubuntuに入れられない。。
このためにWindows環境も手放せない状態になっている。

今はubuntuをメインに使っている。
ExcelとAccessの問題さえなければ十分だからだ。
基本的にはSkypeを主に使用しているし、あとはBlogが書ければいいのだ。
だからWindowsでなくてもいいのだ。
私もAccessさえ使っていなければ乗り換えているだろうと思う。
まぁ、超初心者には若干敷居が高いが、ubuntuは悪くないOSだと思う。

この1周間、何度となくubuntuとは格闘してきた。
何度か諦め、トライしてやっと今の環境が出来上がった。

結局、私は諦めてはいなかったわけだ。
そして、今もまだ諦めてはいないのだろう。。
今の環境に決して満足しているわけではない。
いつかまたチャレンジするのだろう。。
時が来れば、の話だが。。

この2日間のお篭もりは割と充実していたと思う。
明後日もお休み、有意義な暇潰しをしたいと思う。


2014年2月8日土曜日

車中にて

病院が終わって帰るところ。
いつもはスクーターで行くのだが、今日は雪のために電車を使った。
やはりこのお天気、電車は遲れている。

通勤以外で電車を使うのは久しぶりだ。
少し周りを見回してみると様々な人がいる。
眠っている人、本を読んでいるひと、携帯電話やスマホを維持っている人。
小さな子供を連れている人もいる。
この雪の中、大変だろうと思う。

窓越しに見える街角は白く煙っている。
白く積もったものが線路脇に見える。
ホームは水が撒かれたように濡れている。

電車に乗っているとき、これほど周りを見たことはない。
いつもはやはり余裕がないのだろう。
こういうゆったりとした気持ちも大事なのだろう。
もうじき最寄り駅につく。

雪の日

今朝は朝から雪が降っている。
昨日の天気予報から言っていたのだけれども、今回は見事に当たった。
うっすらと積もっているなかをいつものように病院へ出掛けた。

病院では予約をキャンセルする電話も入ってくる。
待合室も気のせいか空いているように感じる。
こんな日は出掛けない方が正解なのだろう。

こういう日は気持ちが少し沈む。
冬型の欝病などもあるらしいし、何より天気が悪いと人は憂鬱になるものなのだろう。

待合室の中もそれほど暖房が効いているような感じはない。
けれども、そとから入ってくるとホッとする。
コートを着ているのだが、外の寒さは刺すようだ。

世間の風は冷たいというのは、こんな感じなのだろうか?
今の私にはこういう事の感覚が解らなくなっている。
ただ思うようにならない運命を呪っていたことしか覚えていない。

原因となった記憶は相変わらず残っている。
だからといってどうということもない。
重たい気持ちは何処かへ行ってしまった。

人は忘れる生き物だと何となくおもう。
いつまでも辛い気持ちに縛られているとろくなことはない。
嫌な記憶があっても、それには何かしらの対処をしているのだろう。

覚えておかないといけないもの、覚えておいてはいけないもの。
人はそういうことを無意識にしているのだろう。
かつては記憶を消してしまいたいと思うほど追い詰められていたのに
、今はどうでもよくなっている。
変われば変わったものだとおもう。

何故、そうなれたのかは、あえて追求はしていない。
それは知らなくて良い事だと思っている。
今の自分をそのまま受け入れる。
それで良いのだと思う。
これは、心の中の「雪解け」なのだろうか?

2014年2月7日金曜日

徹夜

昨夜は殆ど寝ていない。
何となく眠れずに2時になってしまったので起きることを選んだのだ。
もっとも、パソコンのインストールが上手くいかなかったのが原因なのだが。。

何故そうなったかというとubuntuの挙動がおかしかったからだ。
発端はスピーカーから音が出なくなったことだ。
再インストールしてそれは解決したのだが、今度はやたらと遅い。
再度インストールを繰り返していたのだ。

そのかいあって、何とかまともに動くまでになった。
気がつくと4時になっていた。
早めの朝食をとってゆったりとする。
すると睡魔が襲ってきた。
ベッドに横になり1時間ほどうたた寝をする。
起きると幾分気分はスッキリした。

睡眠が不安定だと1日が辛くなる。
自己管理の上で重要なことのひとつだと思っている。
どこかでこの不安定なところを修正しなければならない。
今日がその日に当たるのだと思う。

2014年2月6日木曜日

見間違い

最近、よく「ある筈のないもの」を見ることがよくある。
自分の視野のはしに人のようなものが見えるのだ。
そう聞くと他人は幻覚や霊を見ているのだろうと思うかもしれない。
けれども、そうではない。
単なる見間違えなのだ。

見えるところは大抵決まっている。
朝出社したばかりの自分の席なのだ。
それ以外の場所で見えることは少ない。

その席で視野の外に近いところにはパーティションがある。
丁度人が立っている高さだ。
私はそれを「人」と認識しているのだ。

幻覚も何も無いところでは見えないということがあるとテレビで言っていた。
幻覚の見えるところには大抵何かしらの物があるという。
つまり、それを違うものとして脳が認識しているというのだ。

私たちは普段、目でものを見ていると感じている。
けれども実際は脳がそれを見ているというのだ。
目から入った信号を脳が処理をした結果を私たちは「見ている  」と感じているのだ。

それと似ているかもしれない感覚が「不幸」の中での現実の捉え方ではないだろうか?
不幸の中にいるとき、一寸した出来事や失敗などがあっても、何で自分には悪いことばかりしか起こらないのかと自分の運命を呪ってしまう。
実際、私がそうだった。
しかし、それらの出来事は自分の境遇とは無関係なのだと思うようになってきた。

不幸な境遇にいるとき、脳はその事に対する処理に多くの力を使うのかもしれない。
そのために、日常生活にさく能力は自ずと下がってしまうのではないだろうか?
それでは集中力が落ちたり、注意力が散漫になってしまうのではないだろうか ?

そうなってしまうとミスも生じやすい。
だから悪いこととされる出来事が多いのではないだろうか?
要するに考えすぎなのだ。

けれども、その渦中にいるときはそういうことを考えにくい。
では、どうすれば良いのだろうか?
考え方を変えるのは結構難しい。

こういう考え方を変えるのにはアサーションの考え方が良いのかもしれない。
また、認知をすることで自分の歪みを知ることも効果があるのかもしれない。
だが、一般の人がそこに行き着くのには距離がある。
そんな時に人は新興宗教に出会ってしまうのかもしれない。
彼らは不幸な人間を見つけ出すのが上手だから。

宗教も一種のアサーションや認知なのかもしれない。
まぁ、ここでの話題ではないだろう。

不幸な時ほどメンタルケアの手法は有効なのだろう。
だが今はそれに出会うまでの距離は大きい。
この距離が少しでも短くなることを私は願っている。

2014年2月5日水曜日

ubuntu

このところubuntuを使っている。
Windowsと共存できる環境に復帰できたからだ。
面白そうなアプリを入れて楽しんでいる。
不安定なLineもその原因らしきものがわかり、アップデートをしないで使っている。

勿論、これまでこれを使ったことがなく、まったくの初心者だ。
だからこれからも使い続けるかは解らない。
まだネットがすべて使える状態ではないので、これを何とかしないといけない。
まぁ、暫くは格闘するのだろう。

これもチャレンジだといえないこともない。
楽しみながら新しいことを受け入れていく。
そんな作業を今やっている。

仕事の面にもそれはいえるのかもしれない。
今のところ上司は自由に動かしてくれている。
なので、自由に動いている。
今、必要なこととはいえないが、きっと先には役に立つだろうということを。。
単調な作業だが、楽しんでやっているのだろう。
それほど長い時間には感じないで済んでいる。

作業に苦痛を感じないこと、それが私には必要なことなのだろうと思う。
苦痛に感じることで、それが欝に繋がるのではないかと思う。
もっとも、その作業が楽しくて待ち遠しいとまではいっていない。

朝の日課をこなし、苦痛でない作業を行う。
それは大事だとおもう。
2年間の休職の中で学んだことなのかもしれない。
そうであるのなら、あの2年間は無駄な時間ではなかったのかもしれない。

そもそも50年近くも欝の状態だったのだ。
それが2年で治ったならば、それは決して長い時間ではない。
今、私の感じる時間に欝というものはない。

そんな中で新しいものに目が向くようになってきた。
それは喜ばしいことだと思う。
この状態が続いていくかもしれない。
そんなふうに感じられるようになってきた。

そう、私は生まれ変わったのだ。
そう信じたい。