2014年3月31日月曜日

虐め

私には幼い頃から思春期に良い記憶は殆ど無い。
 育っていく過程で虐めを受けた経験があったからだ。
それも1年というような短い時間ではない。
10年は続いていただろう。

それは身内からのものだった。
私には従兄弟が、母には親類たちが虐めを行っていた。
当時の私はその理由がわからず、いわれのないことで虐められたという記憶しかない。

私には当時、父親がいなかった。
私が2歳の時に亡くなったのだそうだ。
その時に父方の祖母が母に対して酷い仕打ちをしたので母方の祖母が実家に連れて帰ったらしい。
しかし、そこは安住の地ではなく、母は早い内に再婚してしまったらしい。
けれども、その時の相手は酷い人だったらしく、母は持病を悪化させて入院してしまった。

私は母の実家に預けられたのだが、そこで従兄弟からの虐めの毎日が始まった。
だからなのか、私はなかなか実家の者達に懷かなかったようだ。
それが更に虐めを助長させた。

小学校2年の時に母が退院してきたのだが、行く宛のない私達はそのまま実家に住むしかなかった。

そうして虐めは16の時に母が亡くなるまで、続いていた。
その過程で私は引きこもりになり、高校を3ヶ月位で退学した。

この時までの虐めが私の中に抑えられないほどの憎しみを生じさせた。
いつの頃からか、「人は皆敵と思えばいい」という考えが私の中に芽生えてしまった。
その憎しみが私の発病の背景にある。

私の怒りが爆発したきっかけは叔父が欠陥住宅を掴ませたことだった。
家を建てる時に仕事を自分に出さないと道を通さないと言い出し、やむなくそうしたのだが、その結果が欠陥住宅だった。
それでも暫くの間は怒りを抑えていたのだが、堪えきれなくなり、家で暴れるようになってしまった。

その頃は私の病状が何から来るのかがつかめず、治療は上手く進まなかった。
結局、私は家族と別れて暮らすことになった。

私の憎しみは死んでいった者達にも向けられた。
死んでいった父親、母が実家に戻らなければならないように追い詰めた父方の祖母、それらに私の憎しみは向けられた。
何故なら、彼らが死ななければ、母を追い詰めさえしなければ、私の悲惨な人生はなかったからだ。
死んでいってしまった者達に向けられた憎しみは復讐さえ出来ない。
その現実が私を追い詰めていったのだ。
 結局その矛先は墓や位牌に向けられ私は異様な行動にも出てしまった。

今にして思えば、私は思春期に既に発病していたのだろう。
当時は心の病に理解がなく、心療内科や精神科に通うということは忌むべきものとされ、また、私の行動がメンタル面の問題であると誰も思わず、私は放置された状態になってしまったのだ。

思春期の私は何度も自殺未遂をした。
リストカットという道は選ばず、オーバードースを繰り返した。
その時に治療を始めていれば、私の心が破綻することはなかったのかもしれない。

虐める者達は、それが人の一生を破綻させてしまうことなど考えていない。
それがどれほど許されない行為であるかを意識していない。
私はそれを許すことが出来ない。
虐めをする者達は死刑に値するとさえ思っている。

現代は大した理由もなく人を傷つける時代だ。
それがどこからくるものかは、私にも解らない。
けれども、傷つけられた者の心の中に受けた傷はとても深く、長い時間をかけなければ癒やされないものであることを人々は知るべきだと思う。
長い時間とは、私のように人生の大半を使ってしまうほどという意味だ。

インターネットが普及した現在、精神的な虐めはいとも簡単にできてしまう。
それがどれほど罪深いもんであるかを彼らには身を持って知らしめる必要があると私は思っている。
虐めが原因で自殺してしまった人が遺書の中で追い詰めた者たちを名指しした場合は、その者達には刑事罰のような罪の償わせ方をすべきである。
そして世の中から「虐め」という言葉をなくすべきだと私は思っている。
その言葉は、その行為を行っている者達の甘えにすぎないからだ。
虐めは紛れも無く刑事罰に値する事件なのだ。

心を傷つけられた人達の声は未だに聞き入れられてはいない。
そして、傷ついた心を癒していく方法は、自分自身の中にしかない。
 それでいいのだろうか?
彼らにこそ、その声を聞き、寄り添うべきではないのだろうか?
私はそう考える。

おそらく、こうした私の考えは、過激すぎ、行き過ぎているのだろう。。
けれども、そうしなければ救われない人たちが間違いなく存在しているのだ。

虐めを無くすためにまずしなければならないのは、虐めという言葉を世の中からなくすことだと私は思う。
そして、その行為を行う者に重い刑事罰を与えることだと思う。
何故ならその行為は、人の一生を破綻させてしまうからだ。
そう思う私は過激すぎるのだろうか?

2014年3月30日日曜日

頭痛

私は頭痛持ちでもある。
朝起きた時、時々頭痛がして気分が沈み込む。
どんなコンディションの時にそれが起こるかはわからないが, あまり気持ちのよいものではない。
だからロキソニンが手放せない。

症状的には何かで軽く押さえられているような感じで脈を打つ。
ぼんやりとして眠気がする。
寝不足気味な傾向がある。
別に夜更かしをしているという感じはなく、いつもと同じように床についている。

そういう時は気分も割と沈んでいる時が多い。
まぁ、体調が良くないのだからそうなっても当たり前なのだ。
それが解っていてもやはり良い気持ちではない。

そんな時は再発するのではないかという不安が頭をもたげてくる。
勿論、根拠があるわけではない。
以前のように頻繁に起きているわけでもないし、体調は良くなってきているのだ。

これが比較的平日に起こらなくなっているのは良いことだと思っている。
休日ならば、治まる今で横になることが出来るからだ。
これが平日だとそうはいかない。

比較的眠い時に起こるということは、疲れているともいえるような気がする。
私の仕事は体を使うわけではないので、肉体的な疲れはないはずだ。
そうなると、疲れは精神的な面から来ている、ということになる。

けれども、私の職場は会話がとても少なく、他の部門との接点も少ない。
上司からの指示も多いわけではない。
もっぱら自分のスキルを高めるというのが仕事だといえる。

では、どこにストレスを受ける要因があるのだろうか?
それは多分、人の中に晒されているからだろう。
私は元来人嫌いなのだ。
そして「躁うつ病」という病気も持っているので、人と関わらないほうがいいと思っている。
そういう理由から、きっと人前にさらされると無意識のうちに気を使っているのだろう。
だから休日はぐったりとしている。

そういうストレスからなのだろうか、休日になると頭痛がするというのが比較的多いのは。。


だからといって、特別塞ぎこんでしまうほど憂鬱にはならない。
休日は休むことが第一。
その方法が私の場合は寝ることだと考えている。
頭痛がした時はロキソニンを飲んで横になるようにしている。
それでまた平日を落ち込むことなく迎えることができているのだ。

疲れがたまり、頭痛までしてしまうのは、まだ回復しきれていないのかもしれない。
時間が経てば、少しは変わってくれるのかもしれない。。

2014年3月29日土曜日

春の訪れ

ぽかぽかと暖かくなってきたので、近くにある「ふるさと村」に行ってきた。
スクーターで20~30分程度走って着くようなところ。
家族連れや老夫婦などが散歩を楽しんでいました。

私は時々この場所に来る。
ここは私の育った場所であり、以前家族と暮らしていた場所でもある。
あまりよい思い出はないのだが、何故か懐かしい気分になるのだ。

最近、以前よりも気楽に行けるようになったのは、何よりも憎しみの対象だった人物が殆ど死んでいったからなのかもしれない。
一時期はそんな現実を許せなくて苦しんだものだが、今はなんとも思っていない。
むしろ当然の報いを受けたとさえ思っている。

私も年をとったが、私や私の母をバッシングした奴らも年を取り、死んでいくようになった。
だから心の傷を気に留める必要もないはずなのだが、やはり受けた痛手は大きく、それだけでは気持ちは収まるどころか、かえって憎しみが増していた時期があった。
いわゆる「やり逃げ」と感じていたからだ。
あれだけのことをしていながら、何の償いもせずに死んでいくことが許せなかったのだ。
今では許している、などということはないのだが。。

何故許せないのか?
その理由は簡単だ。
バッシングのお陰で心に傷を負い、それがやがて発病に繋がってしまったからだ。
そのために、私の人生の多くは苦しみの時間に費やされてしまった。
これをどう償ってくれるのだ。
そういうものが私の心の奥底に怒りとなって積もってしまったからだ。

その怒りは今でも収まってはおらず、心の奥底に沈んだ状態になっている。
しかし、そのために私は一生薬を飲も続けなければならない状態になっている。
人と深く関わりあえなくなっている。
それは幸せとはいえないのだろう。。

それでは、今、私は苦しいのだろうか?
それが苦しくはないのだ。
薬のせいだと行ってしまえば、それまでなのだが、それだけでもないような気がしている。
今でも狩りが心の中にあるのは感じることが出来る。
けれども、私の意思に逆らってそれが出てくることはない。
言葉遣いも柔らかくなってきている。
私の周囲に穏やかな空気があることを実感している。

私はきっと変わったのだろう。
自分では実感はないのだが、とても穏やかな人間になったような気がする。
身を焦がすように強い怒りはなくなり、制御できる程度の弱い炎のようになっている。
まるで花が咲き始めた季節の空気のように、である。

この柔らかく暖かい季節、私はそれを大事にしたいと思う。。






2014年3月28日金曜日

心のリハビリ

私達心に痛手を負った人はどうしても社会から離れてしまうことが多いと思う。
それは心に痛手を負った人は他の人達とは違う状態に置かれてしまうことが往々にしてあるということにほかならない。
そして、それが回復段階に来ると社会への復帰という問題に直面する。
実はここに落とし穴があると私は思っている。

社会に戻ろうとするとき、1日も早くその状態になりたと焦ってしまう。
また、周囲からも強くそれを求められてしまう。
その通りにしてしまうと破綻してしまうと私は思うのだ。

以前、自殺未遂をして約1年ほど休職をしていた時期が私にはある。
しかし、この時の休職は、もっぱら怪我の回復のために使われ、メンタル面のフォローは全くしてなかった。
そのために私の心の病は治ることもなく、それは置き去りにされてしまった。
そして今回の休職に至ってしまったのだ。

今回の休職はメンタル面でのものであるため、きちんとしたフォローをしようと思った。
まず、全く動けなかったところから、少しずつ外にでるようにしていった。
そして体力づくりのために少しずつ外にいる時間を長くしていった。
この間、約1年ほどの時間を必要とした。
それから復職プログラムに7ヶ月ほど参加して復職に至った。
今のところメンタル面は安定している。

この間の私を他の人が見ると、きっとサボっているように見えただろう。
けれども、これは私にとっての訓練であり、リハビリテーションなのだ。
体の面でのリハビリテーションでも、いきなり元の状態へと復帰させるようなことはしない。
徐々に機能を失ったところを動かし、少しずつ回復していくようにしていくのだ。

けれども、他の人にはこの「リハビリテーション」という過程は理解できないだろう。
それは、外見上何の問題もないように見えるからだ。
そのために、焦りというものを感じてしまうのかもしれない。
けれども、この焦りが心に痛手を負った人には良くなのだ。

メンタル面は急激に治っていくものではないと私は思っている。
内にこもっている状態から徐々に外に向かっていかないと破綻をきたしてしまい、また元に戻ってしまう。
そういうことを何度も繰り返していると、結局その闇から抜け出すことは出来ない。

メンタル面のフォローというものはそういうことをクリアしていくものではないか?
私はそう思う。
始めは近所へ外出するといった程度ていいだろう。
その次に図書館などを利用する。
そして最後にデイケアやフリースクール、復職プログラムなどに参加して人と接することに慣れていく。
そんな過程が必要なのだと思う。

社会に復帰するとどうしてもストレスに曝されることになる。
心に痛手を追うということは、既に大きなストレスに晒された結果であって、それをリセットしない限り社会に復帰することは難しいと思う。
だから十分な時間としっかりとした手順に従って社会という外の世界に向かって行くことが大事なのだと思う。

しかし、周囲がどのように焦らせる言葉を言っても、根気よく納得させるしかないのがないのが現実なのだ。
力のないものが、力のないままに周囲の力のあるものを説得していかなければならない。
そんな現実は悲しいものだと私は思う。

けれども、それをしなければ私達に「明日」はない。
救いの手はただ待っていても訪れてはくれない。
這ってでも自分から近づいていかないとならないのが悲しい現実なのだ。

だから体のリハビリのように、失った力を取り戻す過程がとても重要なのだと思う。
心のリハビリが理解され、心の病や痛手というものが理解されていくことを私は常に思っている。

この頃は温かい日が続いている。
部屋の暖房もつけなくなって数日が過ぎている。
コートを脱いでも肩を怒らせることはない。

日差しも柔らかくなってきた。
街の木々にも花が咲いている。
過ごしやすい穏やかな毎日が続いている。

春は別れの季節でもあり、また出会いの季節でもある。
卒業というゴールと入学、就職というスタートだ。
それは春が来る度に繰り返される。
終わりのない繰り返しだ。

私にもスタートとゴールはやってきた。
時期は11月と寒い季節ではあったが、ひとつのゴールとスタートを経験した。
これまで私を苦しめてきた記憶と鬱状態との別れと職場への復帰と新しい出会いというスタートだ。
そして今、季節の上での春を迎えている。
今の私の心はとても穏やかになってきている。

そもそもこのBlogは、同じように苦しんでいる人に何かのヒントになればという思いで書いてきた。
誰に読まれることも期待をせずにただ思うことを書きなぐってきた。
心のことを中心にしてきたので、最近はネタが尽きてきたのだが、細々と続けていきたいと思う。

私には「希望」というものや「夢」というものはない。
どちらも人が生きていく上で大事なものであるが、それがなくても生きていくことは出来る。
苦しみの中では、それを抱くことは出来ない。
ただ救われたいと願うばかりの毎日を過ごす。

実際、救いは天から舞い降りてくるものではない。
自分自身の心が、考え方がそれを生み出すものだ。
底に至るまでは多くのきっかけと長い時間が必要になる。
悲しみに涙する時間が永遠と思われるほどに続いてしまう。
 抜け出す道を見出すことが出来ない。

それでも、生きているだけでそれを手にすることは出来る。
人を導いてくれるのは、人と関わっていく「縁」なのだと私は思う。
その縁と巡りあうために、ただひたすらに生きる。
それだけでいいと思っている。

苦しい中で過ごす毎日が冬であるとすれば、縁と巡り会えることが春の始まりだと思う。
季節は必ず巡っていくもの。
だから冬は必ず終わるのだ。

そのことを忘れないように私は生きたいと思う。
だから夢や希望がなくても生きられるのだ。
まだ手に入っていない縁もきっと手に入れることができる、そう信じたいと思う。
春はもう私の心に訪れているからだ。

2014年3月7日金曜日

朝の出来事

最近、このBlogを更新することが少なくなってきた。
心の事を中心にしてきたからだろう。
書くネタが尽きてきた。
そんな感じだ。

そんな中で今朝方少し落ちた感じがした。
出勤するのが面倒に感じたからだ。
再発かとも思ったのだが、そんな感じでもなさそうだった。

何故、そう感じたのか、それは仕事の上でもネタが無くなって来たからだ。
私の仕事は割りと自分でテーマを探すことが多い。
だからサボっていてもどうこういわれることはない。
実際にそうしている人もいる。
私にはそれが出来ないのだ。

別に真面目なわけではない。
ただ、誰かに注意されるのが怖いだけだ。
臆病なだけなのだ。
だからサボることが出来ない。

けれども、それは出社してしまえばなんとかなるのだ。
それなりに仕事は探せるものなのだ。
けれども、出社前にその事が私を憂鬱にさせるのだ。

そんなことを解消するために出社後の空いた時間にテレビのニュースを観ることにしている。
そうする事で楽しみを持ち、仕事への気持ちの切り替えをしているのだ。
今のところそれは効果を示している。

朝、憂鬱になるのは誰にもあるのだろう。
だから心配する必要はないだろう。
少し過敏になっているのかもしれない。
今のところは順調なのだ。

余り気にせずに日常をこなしていこう。
そう思った今日この頃だった。。

2014年3月3日月曜日

目覚め

今朝は4時前に目覚めてしまった。
昨夜寝たのは0時30分過ぎ、十分に寝たとはいえない。
それなのに微妙な時間に目が覚めてしまった。

起きたとはいえ、欠伸は出る。
横になれば眠ることは出来るだろう。
けれども、この時間では寝坊しかねないのだ。
だから思い切って起きてしまった。

そうだとはいえ、鬱的な気分はおこっていない。
ごく普通に起きられた。
簡単な食事を済ませて、今はコーヒータイムだ。
時間はあるのでゆったりとしている。

起きたきっかけは、今朝方見た奇妙な夢だ。
内容はよく覚えていない。
夢を見るということは眠りが浅いのだとある人から聞いた。
確かにそれはいえるのかもしれない。

昨日はかなりの時間、眠って過ごしていた。
昼近くまで寝ていたのだ。
そのせいなのか、あまり眠たくはなかった。
比較的遅くまで起きていたのだが、こんな時間に目が覚めてしまった。

精神的には今朝は安定しているのだろう。
昨夜は少し落ち込んだのだが、今はそれはない。
鬱的な気分は眠ることで楽になる。
その効果が出ているのだろう。

今、目覚ましがなった。
いつも起きる時間だ。
また1週間が始まろうとしている。
充実とまではいかなくても、無難な1週間であることを祈りたい。